「私たちは商品じゃない」
香港の外国人家事労働者の苦しみと闘い
平賀緑 著
『週刊金曜日』1999年4月23日号。『ヒューライツ大阪 NEWSLETTER No.26』1999年7月。
平賀緑の原稿集
第三世界ジャーナリストを目指す

英語で出版されたもの
広島原爆投下50周年によせて

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香港の日本軍占領跡を訪れた日本人たち

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中国移民に大きな障壁の香港教育制度

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希望と正義を歌うフィリピンの活動家たち

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日本語で出版されたもの
7月1日へのプレリュード: 香港返還直前事情

私たちは商品じゃない: 香港の外国人家事労働者の苦しみと闘い

香港英字新聞記者一年生

経歴


二月二日、香港政府はアジア諸国から出稼ぎに来ている住み込み家政婦(ドメスティック・ヘルパー)たちの最低月給を五%削減すると発表、翌日からの新規契約該当者から施行した。このため、今いるメイドを解雇して低賃金が適用される新しいメイドに取り替えようとしたり、便乗して不法な低賃金をメイドに迫ったりする動きが広まりつつある。「不法な契約破棄は以前からあったけれど、賃金カットの発表後に急増した。私たちのシェルターにも解雇された人たちがどんどん連絡してくるけれども、もうこれ以上受け入れられない」と、メイドたちが助けを求めて駆け込む「ベチューン・ハウス」職員のエドウィナ・A・サントヨがいう。台所一つ、洗面所一つしかない定員二十人のささやかな施設には現在二十八人が身を寄せている。

<解雇の増加と賃金ピンハネ>

女性の社会進出が進んだ香港では、その陰で近辺諸国から来た約十八万人の外国人女性がドメスティック・ヘルパー(家事労働者)として住み込みで働いている。近年の通貨切り下げと経済危機から彼女たちの本国では失業率もインフレもますます急騰し、海外への出稼ぎに拍車をかけた。しかし、雇用側も香港で長引く不況を理由にメイドを解雇したり、賃金をピンハネしたり、一人のメイドに余分な仕事をさせたりしてメイドたちの待遇を悪化させている。

香港では、外国人ドメスティック・ヘルパーの最低月給が政府により規定されているが、毎年見直される月給は近年のインフレにも関わらず一九九六年から三八六〇香港ドル(約五万七千円)に据え置かれたままだった。これすらも守られないことも元々多かった。「最低賃金はイコール実質の最高賃金。多くのメイドたちが最低賃金以下しかもらっておらず、特にインドネシア人とスリランカ人の間に多い」と、スリランカ人グループのウィーラ・ウィッカマシンは言う。「アジア移住労働者センター」のレックス・ベロナ所長も「インドネシア人メイドの相場月給は二千から二千五百香港ドルと言われており、既に約90%が違法の低賃金に甘んじている。スリランカ人メイドは60%、タイ人メイドは50%が同じく低賃金で働いている」と、説明してくれた。

今年一月には、香港のメイド斡旋業者が七社、インドネシア人メイド約三千人に六千から二万千香港ドルもの斡旋手数料を要求する一方、雇用主には月二千香港ドルの賃金で手配していたとして逮捕された。この法外な手数料を支払うために、メイドは数ヶ月も無報酬のまま働かなければならなかったという。入境管理局が踏み込んだとき、幾千ものパスポートやメイドたちによって先に署名された空欄のレシートが押収された。

今回の賃金カットの前からこの状態だった。香港政府が公式に月給削減を決定した今後は、不法な低賃金の圧力もますます高まると関係者たちは心配している。

<不況をいいわけにした賃金カットの圧力>

昨年九月、ジェニファー・チョウ臨時市政局議員は、不景気に苦しむ香港人雇用主の生活を援助しようと、外国人メイドの賃金を二割減給することを提案した。雇用主やその支持獲得をねらう他議員たちの加勢も加わり、自ら三人のメイドを雇う周議員は十月にシンガポールまで調査に赴き、香港のメイドの賃金は高すぎる、労働時間も延長すべきだと発表。それに乗じた外国人メイド雇用者連盟も賃金を35%カットし月額二千五百香港ドル(三万七千円)にすべきだと、担当政府機関に申請した。「外国人メイドは賃金削減のターゲットにされやすい。議会への投票権も持たないし、多くが雇用主に密告されて解雇されるのを恐れているからだ。」と、ウィーラは言う。香港の不況をメイドの賃金削減の理由として強調することに、ベロナ氏は反対する。「香港の雇用主自身が減給されたり解雇されたりしているからというが、一番被害を受けているのは建設業やサービス業の労働者層で彼らはあまりメイドを雇っていない。平均賃金約一万ドルと言われる香港で、住み込みの外国人メイドを雇うことが出来るのは最低一万八千香港ドルの月収があることと規定されているし、実際の雇用主たちはそれ以上の収入があることが多い。」

周議員の発言以来、メイドたちを始めとする移住労働者や労働組合員たちが街に出てデモを繰り返したり、署名を集めたりしたが、反対運動の盛り上がりも空しく、香港政府は今年の新規賃金削減を決定した。「一九〇香港ドルは、雇用主にとっては大した額ではないけれども、フィリピンの私の家族たちにとっては一ヶ月分のお米が買える額だ」とメイドたちは言う。

<姑息な解雇も増加>

今年一月、フィリピン女性のパーリッタが雇用主から休暇をもらい、故郷で数日を過ごして香港に戻ってきたとき、飛行場の入境管理所から彼女は解雇されたため香港に入れないと宣告された。「私は二年間の契約継続の署名をしたばかりで雇用主は再入国のための書類も私に持たせてくれた。物が増えると困るから荷物もあまり持って来ないように言われて着のみ着ままで帰ってきたのに、飛行場から雇用主に電話で確認したら『そうよ、あなたは解雇されたの』と言われてショックだった。」身を寄せているベチューン・ハウスを訪れた私に、パーリッタは怯えた目をしながら話してくれた。香港で勤務中に契約が途切れた場合なら少なくとも一四日間新しい雇用主を探す期間がある。しかし、休暇中に一方的に解雇された場合は入国そのものを拒否され、たとえ数日間の滞在が許されても観光ビザ扱いになるため雇用主を捜すことができない。仮に職を見つけることが出来ても、働き始める前に一旦本国に戻って斡旋業者を通した手続きを繰り返さなくてはならない。「私の両親は老齢で健康状態も悪く、兄は一年前に脳血管障害を起こして右半身不随になってしまった。今十歳の私の一人息子と兄の子供三人のために香港で働かなくちゃいけないのに、こんな風に雇用主に裏切られて悲しい。」先ほど夕食の時はにぎやかに笑いながらしゃべっていた彼女がつらそうに話すのを聞きながら、私は数週間前の新聞記事を思い出した。雇用主が法定の解雇料の支払いを逃れるため、メイドが休暇で香港を離れている間に解雇の通知を入境管理局に送りつける。メイドは香港に入国できないため、法廷で競い合うこともできず泣き寝入りするしかない、という全く同じケースだった(注1)。パーリッタの雇用主がこの記事のことを知っていたか否かは不明だが、二年間も誠実に勤めた雇用主がなぜこのような措置をとったのか、彼女には見当もつかず途方に暮れていた。

筆者がアジア移住労働者センターで職員に話を聞いていたときにも、休日の夜に帰宅が遅くなったとの理由でその場で解雇され、職も行き場も失ってしまったと、小柄なインドネシア女性が大きなトランクを掲げて訪れてきた。「十ヶ月間ほど毎日朝7時から夜1時過ぎまで工場と雇い主の住宅とで酷使され、しかも月額二千五百香港ドル(約三万六千円)しかもらえなかった」と、アジア移住労働者センターのネルシー・ハシブアンが通訳しながら説明する。

ベチューン・ハウスのエドウィナは、不景気の中メイドたちの労働条件が悪化していることを心配している。「メイドが契約した一所帯以外で働くのは違法だが、コスト削減のため雇用主が正規のスタッフを雇う代わりに、メイドを店や工場などで余分に働かせているケースが多くなった」と言う。解雇されたら二週間以内に新しい雇用主を見つけない限り強制的に香港を離れなければならない。故郷に帰っても職はなく、再び海外に出るには斡旋業者を通じた手続きを一から繰り返さなければならない。そんなお金も時間もない。追いつめられた女性たちは香港での職を手放すまいと、違法でも悪条件でも、必死に耐えてしがみついているという。

入境管理局の統計によると、昨年一年間に解雇された外国人メイドの数は二万五千人に上る。

<繰り返す海外出稼ぎ>


一九八〇年代に香港が急激な経済発展を迎えたとき、当時香港を支配していたイギリス植民地政府は、経済成長を維持するために必要な労働力を香港人女性に求め、女性を社会に引き出す代わりに、香港より貧しい近辺アジア諸国から住み込みで家事全般をこなすメイドを大量に輸入し始めた(注2)。同じころ、フィリピンでは失業と海外債務の解決策として「人力輸出」を推進しており、地理的距離の近さと互いに英語を解する社会的背景から大量のフィリピン女性がメイドとして香港で働き始めた。現在その数は十四万人を占める。

その他、タイ、インド、スリランカ、ネパールなどからも女性が多数メイドとして出稼ぎに来ているが、近年目立って急増しているのがインドネシアからの女性たちだ。同じく失業と外貨不足に悩むインドネシア政府は八〇年代初頭から人力輸出に力を入れ、特に一九九五年から九九年の第六期五カ年計画においては、国民百二十五万人を移住労働者として送り出し、その仕送りによる八五億米ドルの外貨獲得を目標に掲げている。香港でメイドとして働くインドネシア女性も、一九九〇年には千人あまりしかいなかったのが、九八年現在二万八千人を越える、フィリピン人に次ぐ大所帯となった。しかし、英語教育を受け大学卒業者も多いフィリピン人メイドに比べ、インドネシアからの女性は学歴も低く英語も不自由で契約書も読めない人も多いため、詐欺や搾取にあうことが多くなっている。

一度海外に出た移住労働者は、再び海外に舞い戻るケースが多い。「海外移住労働者を出した家族は、仕送りのお金を使って家を新築したりテレビや冷蔵庫を買ったりすると言われる。でも、本人が帰国して来たら二〜三ヶ月の内にテレビや冷蔵庫は売られ、家は抵当に入ることが多い。結局すぐまた海外に出稼ぎに行くようになる」と、「フィリピン移住労働者ミッション」で契約違反を受けた同胞を支援するシンシア・C・テレズはいう。出稼ぎの最初の一年の給料は主に斡旋料金の支払いに費やされ、貯金ができても二桁大に膨らむインフレのため金銭価値はすぐすり減ってしまうことが多い。新しい事業を始めようにも本国に広がり尽くした多国籍・大企業には太刀打ちできず、仕事に就いてもあまりの賃金の安さに生活が成り立たない。そのため子供の教育費を稼ぐために親が長年に渡り国を離れ、放置された子供が情緒的不安定になったり親が離婚したり、崩壊した家族はアジア諸国に数知れない。「私が出稼ぎに出てから息子の成績はどんどん落ちてしまった。今はだれも息子のことをかまってやれない。息子は『お金がなくてもいいから、ママ、帰ってきて』と言うけれども、私が働かないと家族全員が飢えてしまう」と、パーリッタは気丈な顔に目を潤しながら話してくれた。「家族と一緒にいられたほうがそりゃ幸せさ。だけど、僕が家族といたらみんな飢え死にしてしまうんだ。だったら香港に来て働くしかないじゃないか。」以前、同じく香港で働く別のフィリピン人の友人が吐き出した言葉が私の頭によみがえった。

「現在海外で働くフィリピン人は七百万人いるが、毎日二人が出稼ぎ先で死亡しているとの統計がある。九七年までは受け入れ国で外国人労働者の需要もあったが、現在は本国から押し出され、受け入れ国からも押し出され、移住労働者はますます極地に追い込まれている。昨年はアジア地域だけで九十万人が強制送還された。」それでも、故郷の貧困と生活苦から皆海外まで働きに行かねばならない、今後は中国人とインドネシア人の移住労働者が海外に増加するだろう、とベロナ氏は言う。


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