食生活と身体の退化
〜未開人の食事と近代食・その影響の比較研究〜

W. A. プライス著、片山恒夫訳

第20章 土壌の消耗と動植物の退化


土壌の消耗と動植物の退化という主題に関して入手し得る資料はひじょうに多くあるため、それらをうまく整理して示した書物が必要なくらいである。人間や動物の身体の組織に摂り込まねばならないミネラルの量が多いことを認識すれば、作物の成長や食品を生産するのに必要な濃度のミネラル分を、十分なだけ集中的に牧場や農場の土壌に施すことが困難であるということがわかる。

もし、7インチの深さで耕した通常の土壌で植物や牧草類を育てるとすれば、1エーカー当たり全体としておよそ200万ポンドもの土壌を処理することになり、そのうちの2000ポンドは種々の化学的形態をとった燐分である。その中には植物が容易に利用し得ないものも含まれているだろう。もしこの燐分の半分が利用し得る形で存在しており作物の種子の部分だけをその土地から収穫して元に戻さないと仮定すれば、1エーカー当たり10ポンドの燐を種子に利用するだけの貧弱な収穫でもわずか100回分、1エーカー当たり25ポンド利用する立派な収穫を行なうなら40回で使い尽くす燐しかないことになる。小麦やとうもろこしを1エーカー60ブッシェルの割合で収穫すると、種子の部分だけで25ないし28ポンドの燐分を利用する。同じように土壌はカルシウムの欠乏を起こすが、これは燐のように限られた量しかないということは少ないし、それ程早く消費されることもない。急速に成長しつつある木や草の葉や幹にはカルシウムや燐が豊富にある。植物が成熟するにつれて、燐は大量に種子に移動していくが、大部分のカルシウムは葉に留まっている。世界の貿易のかなりの部分は、カルシウムや燐を主体とする化学成分を食物として輸送することに関係している。土壌からの産物はパンにする小麦粉、食用のミルクや肉、衣料用の毛や皮など最終的にどんな形で用いられようとも、運び出されたその1ポンド1ポンドが、牧畜や穀物生産用の土壌の消耗を象徴している。

もっとも優れた土壌の限界を、立派な収穫で100回、その他の耕作可能地の大部分での限界をその4分の1と見積もることは、おそらく甘すぎるであろう。地力の消耗という問題は、多くの人には重要なことではないと思われるであろう。というのは、消耗が起っているという意識が何もないか、その補修など簡単なことだと思っているかのどちらかだからである。

合衆国のどの州の係官とも連絡をとっているうちに、私はこの50年間に多くの地方で土壌の生産能力が25%から50%も減少してきたことがわかった。また、燐分を供給して補充するには、1エーカー当たりおよそ50ドルも必要だということを知った。

多くの人が、子どもの時代に自分の知っていた農場が、「消耗し尽くして」生産能力を失ったことを認めている。大都市や地方都市へ人口の移動が起ったのも、その一部は、確かに社会的中心へ向かう吸引力が働いていたためであるが、もう一つは、消耗した土地を捨てようとした結果なのである。農場からの移動に影響を与えているものは多いが、農場の面積と価値について直接扱っている政府の統計報告からも学ぶべき点は少なくない。

人間や家畜の生活水準を、土壌の消耗という問題に関連づける時には、2種類の重要な資料について考えなければならない。その第一は、大小様々な特定の土地そのものに関わるもの、第二は、すでに姿を消したり急速に衰えつつある大小の文明あるいは集団に関わるものである。現在のものであれ過去のものであれ、骨格の研究はいずれも次第に衰弱が進行しつつあることを明らかにしている。例えば、ハーバード大学のフートン教授の人類学的な発見について触れておこう。彼は、西部平原に住むプエブロ族、特に連綿として埋葬が続いてきたことが明らかになったペコ部族を中心に調査を行ない、1000年以上にわたる文明の年代記に光をあてたのである。ここで明らかになったのは、身長の縮小とともに関節炎や虫歯を含めて徐々に骨格の退化が進んできたが、それは土壌が徐々に消耗していったことと直接関係があるらしいということである。

最近私は、種々の牧草のミネラル含有量を比較し、牛に現われた退化にそれを関連づけたデータ(1)を、ある雑誌に論文として発表したが、残念なことに、ここではそれを詳細に検討する紙幅がない。それを要約すれば、カルシウム分は、アリゾナの乾燥した牧草では0.17%、ペンシルバニアの牧草地では1.9%、ブリティッシュ・コロンビアの牧草では2%と変化し、その幅は10倍を越えている。同じように、燐分についても、0.03%から1.8%まで差があり、その幅には60倍の開きがみられる。家畜のみでなく人間も、通常の代謝に必要なミネラルを、すべてミネラル含有率の低い植物性食物でまかなうことはできない。成人でも妊娠中や授乳期、子どもなら急速な成長期といった、体に負担がかかる場合には、ミネラルの必要量も大いに増加する。例えば、南テキサスでミネラル分に乏しい牧草地で、乳の良く出る種類の牛が飼われた時の話である。この種類の牛は普通1日当たり燐60g、カリウム160gが必要であるが、ここで飼われた時は大多数の牛は、子どもを産んだりミルクを出したりはもちろん、自分の身体を維持することさえ不可能であったし、多くの牛に腰部の病気が現われていた。その牛を土壌の消耗していない土地に移すと回復してくることがわかった。

合衆国国民が給料や賃金として受け取る現金収入のうちおよそ37兆ドル、すなわち約40%が食物の購入にあてられている。それに国民のエネルギー支出を考え併せてみれば、食料という形で供給される化学物質のための支出は年間おそらく50兆ドル以上の金額になることだろう。そのうちの大部分、おそらく50%を食品が含んでいるカルシウム分や燐分に、25%ほどが他の化学物質に、そして残りの25%を特定のビタミンや酵素に支出していることになる。こうして大量のミネラルが土壌から出ていくのであるが、合衆国ではそのうち再び耕地に戻ってくるのはきわめてわずかでしかない。オール氏(2)は、「ほとんどが牧草地からもたらされる畜産品の英国における消費は、年間およそ400万ポンド(ほぼ2兆ドル)にもなると算定されている」と述べている。これには乳製品、肉、皮革が含まれている。これまで世界の歴史にこれほど耕地や牧場から大規模に養分を吸い上げ、土壌を消耗したことがあっただろうか。合衆国では、食糧費のほぼ2分の1に相当する医療費を支出しており、しかもそれは増えつつある。

乳牛や他の家畜の飼育に関して重大な発見がなされた。つまり、急速な成長を遂げている時の若い草は、ミネラルを多量に保有しているばかりか、亜麻仁粕のように牛用の圧縮した穀物飼料が供給するのとほぼ同量の消化の良い蛋白質をも含んでいるということである。また、牛がそうした成長中の若葉、特に小麦やライ麦の若葉で飼われれば、その牛から得られる乳製品は高品質を維持するばかりか、穀物を摂っている時よりも、家畜自体の肉体的条件が良いということがわかったのである。さらに、この牛の乳で育てられた子牛は他の飼料を摂っている牛の乳で育てられた場合よりもはるかに早く成長し、病気に対する抵抗力もきわめて高くなる。このような栄養素を供給する牧草は、肥沃でバランスのとれた土壌で育てられなければならない。成長期の植物は必然的に急速な土壌の消耗をもたらす。ミネラルや他の化学物質は失なわれてしまうので、適切な補充が必要である。

第18章で私は、ベルツビル実験農場でメイグスとコンバースの両博士が行なった実験について触れておいた。そこで彼らが明らかにしたのは、クロロフィル含有量の低い乾燥牧草で牛を育てると、子牛が死んだり目が見えなくなってしまうことや、その牛の乳を正常な3匹の子牛に与えると、それぞれ57日目、62日目、71日目に死んでしまったということである。これらの子牛たちは、20日目までは完全な牛乳で育てられていたのである。彼らは、その主たる欠陥はビタミンAの含有率の点にあったとしている。

哺乳動物は幼児期にはミルクが必要である。それは我々が知っている食物の中でももっとも滋養に富んだ唯一の食物でもあるので、私はミルクと乳製品については特に研究を行なってきた。食物中におけるビタミンやその他の賦活物質の役割は、ミネラルの役割に劣らず重要であるし、基本的なものである。一般にこうした賦活物質は、水溶性のものと脂溶性のものとに二大別される。前者は、後者に比べて、どの土地でもたいがい容易に入手することができる。脂溶性ビタミンは、水溶性ビタミンと同じく、ミネラルの利用にとって不可欠であり、また特に、前者は食事に不適当な形で供給されることも多く、入手しにくいものでもあるので、乳製品にその量がどれくらいあるのか、場所、季節が変わればそれがどうなるかを確認するため、特に私は努力を払った。これを遂行するため、1927年以来毎年、私は賦活剤の含有量を分析するためクリームやバター、ほとんどはバターであるが、そのサンプルを取り寄せていたのである。その仕事は急速に拡大して、11年にわたって私は世界各地に散らばる数百カ所から、現在(1939年)も年間を通じて月に1、2度はサンプルを送ってもらっている。この研究に用いた方法としては、生物学的なものもあるし化学的なものもある。これから得た資料は、それぞれの土地の発病率や死亡率の統計と併せて利用している。

生命のレベルが徐々に変化していることは合衆国やカナダ各地の発病率や死亡率の統計をみればわかる。アメリカ心臓病学会は、カナダの各州での心臓病による死亡者の数に関する重要な資料を時々公刊している。特筆すべきことは、得られた範囲で死亡率がもっとも高い水準にあるのは、一般に、アトランティック州、ニュー・イングランド州、グレート・レーク州、それにパシフィック州といった近代文明の影響下にもっとも長期間おかれていた諸州であることがわかったことである。その資料は、『心臓病による死亡統計』という小冊子の形で出版されており、その統計は合衆国登記区に基づいているが、人口10万人当たりの死亡率は、1900年の時点で123人に達している。ワシントンの商務省にある合衆国統計局から1937年11月に送ってもらった資料には、心臓病による死亡率は1934年には10万人当たり239.9人となっている。つまり、34年間に86.9%の増加がみられたわけである。イングランドとウェールズ担当の国勢調査部による数字では、10万人当たりの死亡率は269.3人で、スコットランドでは232人であった。しかし、合衆国登記区の平均死亡率が10万人当たり224人であることは、少し高い感じがあるが、中でもニュー・イングランド州は、他州を抜いてもっとも高い死亡率を示していることを特記しておかねばならない。さらに、マサチューセッツ州は、307.3人、ニュー・ハンプシャー州は、323.1人、バーモント州、310.8人、ニューヨーク州、302.1人、メーン州、297.5人となっている。デラウェア州では、1921年から1930年に至る10年間における増加率は51.3%、コネチカット州は52%、ペンシルバニア州は51%、ミズーリ州は59.4%、ワシントン州は60%、ウィスコンシン州は55%、ルイジアナ州は64%、フロリダ州は71%、サウス・カロライナ州は63%、モンタナ州は81%、ケンタッキー州は61%、ノース・カロライナ州は51.9%となっている。こうした死亡率の増大は、危険信号とみてよい。

アーノルド・セイラー卿は、南アフリカで放牧動物の栄養失調症の問題について2年半も研究した人であるが、彼は、植物の成長にとって利用し得る形で存在する燐分の量が減少していることは、ミネラルの不足ということの中でもずぱぬけてもっとも重要な問題になっていることについて、かなりのスペースを割いて論じていた。彼は世界中の多くの国から収集したデータについて報告しているが、そのデータの示すところは、雌牛や羊の退化は土壌中の燐分の量が適切でないことに直接結びつくというのである。彼は、この問題とオーストラリアに見られる状態との関係について論じ、次のように述べている(3)。

オーストラリアの資料のうち施肥によって適切な補充をせずに、農場の産物を商品としていた結果、燐分が消耗してしまったことを示す数字が、興味深い。たとえばリチャードソン氏は、ミルク、羊肉、羊毛といった形で農場から失くなった燐分を補充するには、過燐酸塩が20万トンも必要だとみている。ある国の発展段階が「放牧の段階」にある場合には、大自然のバランスが次の世代に損害を与えるほど乱されることがよくあるという事実が忘れられがちである。
様々な病気の発病率とそれによる死亡率とが晩冬および春に顕著な増加があり、夏と初秋には大きく減少するという、毎年比較的に一定した経過を辿っている事実は、銘記する必要のある大切なことである。季節の変化に応じて、発病率の増減は、同じ場所では年々ほとんど一定のカーブを描いている。しかしながら、緯度、経度が異なれば、死亡率の分布ははっきり違ったものになる。北半球とは季節が逆になっている南半球では、そのカーブが北半球のカーブと逆の形になっているが、同じ季節にあたるところではきわめて似た水準になっていることを特に重要なこととして記しておこう。私は、合衆国とカナダを含む数ヶ国における数種の病気による死亡率の程度を示した数値を入手している。それを見て私は、発病率と死亡率の上昇下降がどのように分布しているかは、日照時間の変化に従うものではなく、植物の成長カーブに従うものであることを発見した。だから私は、合衆国とカナダを東西方向に4、南北方向に4分割し、合計16の区域に分けて研究を行なった。両国政府から入手した資料により、その各地域毎に心臓病と肺炎による死亡率の割合を月毎にプロットしていった。同じように、この16区域から入手したバターとクリームのサンプルに見られたビタミン含有量のカーブもプロットした。両者を月毎に対応するよう重ねてみると、どの区域でも、心臓病と肺炎による死亡率とビタミン・カーブとがちょうど逆になっていることがわかった。北端に並ぶ区域では、乳製品中のビタミン含有率が真夏に高くなるが、それが高い水準にある期間は南方の区域より短いことがそのカーブからわかってきたということも記しておかねばならない大切な点である。ビタミン・カーブには夏に向って2つのピークが現われる傾向があるが、一方は植物が春に活発な成長を行なうことを示すもので、もう一方は秋にみられるものである。この2つのピークは南の区域より北の区域で接近した形になっている。

この研究で特に重要な側面は、その区域の中で年間を通じてビタミンの水準の低いのが、アメリカとカナダで定住してからの期間がもっとも長く、したがって農業によってもっとも消耗が進んだ地域と一致していることを発見したことである。トロントのティスドール、ブラウン、ケリー(4)の3氏が報告書の形で出版した資料をもとにして同様の研究を行なった。水痘、はしか、腎炎、しょう紅熟、新生児出血、破傷風、咽頭後部膿瘍などを含む子どもの病気についての数値を、各月毎の発生率に従って整理してみたところ、これらの病気はすべて、2月と3月を通じて相対的にもっとも高く、12月と1月に上昇し、4月と5月で下降し、真夏にもっとも低くなり、それから秋にかけて急に上昇するという傾向を示していた。この傾向はオンタリオで生産される乳製品にみられるビタミンの水準と月毎に対応させてみると逆の形になっているのである。

先に私は、第3章でレッシェンタール峡谷やその他のスイスの峡谷地帯でふた夏にわたって収集した資料について論じておいた。レッシェンタール峡谷は特殊な物理的条件下にあったため、周辺の近代文明との接触がなく孤立した状態にあった。その谷の歴史を1200年間にわたって記録した資料が残っているが、そこに住む人々は、谷で採れる産物で衣食住のすべてをまかないながらも、身体のすばらしさという点でも高いレベルを維持してきたのである。雌牛や山羊を飼ってそのミルクや乳製品それに肉を食用していた。きびしい気候が続く間は家畜を畜舎に入れて注意深く飼育し、栄養となるものはすべて細心な注意を払って土地に戻すのが常であった。もちろん、こうしたことは今日世界各地で効果的に実行されている。これによって動物や人間の食料に必要なミネラルの大量の消耗が防止されているわけである。それに対して、合衆国の多くの農業地帯で行なわれていることをみれば、こうしたやり方とは雲泥の差がある。合衆国ではミネラルが農地から都市へと組織的に運び去られ、そこから下水道によって海に流れて失くなってしまうのである。未開種族の中には土壌の肥沃さを保持しようとしてある種の試みをしているところも多い。例えば、アフリカでは、生活の一部を農業に依存している部族が多いが、彼らは森の真ん中にほんの数エーカ一だけ開墾し、普通は10年以内だが、年数を限ってその土地に作付けを行なっている。そして、大雨や風の浸食によって腐植土が流出するのを防ぐためひじょうな注意を払っている。水で移動するような軽い土壌や枯れた植物などは、農地の回りに根菜類や低木を植え、それに絡ませることで流出を防いだのである。またその周囲の木々が土壌を風の浸食から守る役目も果たすことになったのである。水路となる溝やあぜみぞ、細長いくぼみなどについては貴重な軽土を流し去ってしまうから、あまりそうしたものには力を入れなかったのである。このことでも世界の他の地域、特に合衆国の事情との際立った対比が見られる。シアーズ氏(5)は、「未開拓のプレーリー〔大草原〕では4000年もかかって失くなるのと同じ量の土壌が、鋤で掘り返した土地では、10年で洗い流されてしまうことだろう。たとえ失われても、プレーリーの土壌は失われるより早く、あるいは同じ速さで形成されていくであろう」と述べている。

大自然の中では、ミネラルは一時的に植物や動物に貯えられ、それがまた土に返っていく。そのことが大切なのである。再びシアーズ氏の言葉を引用しよう。
土地が提供してくれるものを、過去の動物や植物は何世代にもわたって利用してきたし、将来も数えられないほど多くの世代がそれを必要とすることであろう。燐などの要素の場合は供給がひじょうに限られているため、恒常的に土地に返さなければ1世紀も経たないうちに、生命体の数が激減してしまうことになるだろう。
これまでの人類の文明や文化の歴史をみれば、ミネラルが土地から永久に失くなったとき、その崩壊が起ってきたことがわかる。世界を見渡しても、偉大な文明が長期にわたって存続してきた所はほんのわずかしかなく、残ってきた文明にはやはり独特の特徴がみられる。土壌中のミネラルがひどく消耗して、植物や動物に退化がどんどん進んで行くようになるにはわずか2、3世紀しかかからないし、浪費が激しければ2、30年でそうなってしまう。そういう場合には正常で適切な補充が起こらないのである。

この補充は、プレーリーの場合のように、もち出したミネラルを動植物の生活を通して土壌に還元することで達成されるのであるが、この仕組みを効果的に運用できた利口な文明はわずかしかない。多くの文化は、おもにこの点でバランスを取りそこなったのである。消耗した土壌を回復するにはもう一つ別の方法がある。分水界のある高地から大きな水路をもつ低地の平原へと栄養分を流していく水系には、毎年春になると洪水が起こるが、それで地力の回復が行なわれるわけである。これはナイル川の歴史をみればわかる。ナイルはアフリカの奥地の高原地帯から北に向って、スーダン、エジプトを経て地中海に至るという長い過程を進むうちに、莫大な量の肥沃な腐植土や栄養価の高い土壌を毛布に広げたように運んで行くのである。こうしたナイルは、中国やインド以上に稠密な人口をその流域に養うことができたのである。エジプトが救われたのも、ナイルの水源が広大で、大自然がもっている地力の回復能力を破壊してしまう文明の影響力がはるかに及ばなかったという事実があるからである。大きな水脈の水源にあたる広い山地を人間が切り開いてしまったところでは、事態はまったく異なることとなってしまった。

これと類似した状況は中国でも起った。チベットのヒマラヤ山脈の奥深くに広い水源をもつ中国の二大河川、揚子江と黄河は、何世紀にもわたって、その大水脈の周囲に広がる平原に住む大人口を支えるのに必要な地力の回復をもたらしてきた。こうした自然の回復作用に加えて、中国人は、動植物が浪費したミネラルをきわめて効果的に土壌に戻してきたのである。彼らが農民としてそれを効果的に行なってきたという点では、世界のどの農耕民族をとってみても彼らに優るものはない。

ヨーロッパやアメリカに話を移すと、そこでは地域によって大きな差がみられる。水分を貯えたり、土の沈澱を促進する木や草の根床はすっかり破壊されてしまっている。草木の根がもつ重要な働きは、枯れた植物をからめとることである。植生は、雪解けや雨期に水分を留めておくが、それが有効に行なわれるからこそ破滅的な洪水も起こらず、かなりの期間継続的に水の流れを確保することができるのである。高地にもますます人が住みつくようになり、農業の目的で植生が剥ぎ取られた。森林は乱暴にも焼かれてしまい、ひじょうに価値のある材木も破壊されてしまうことが多い。こうして大規模に木を燃やしてできた灰は、2、3の有用な作物の肥料ともなっているが、その化学物質も水に融け込み、急流に乗って急激に散らばってしまい、大自然が何千年もかけて造りあげた広い森林地帯が裸になって、2、30年のうちには土壌も洗い流される結果になってしまう。かっては、下流の平地にとって植物性食物の偉大な宝庫であった山裾一帯も、今では脅威を与えるものとなっている。商業や製造業が木材を大量に消費して森林が失くなったため、他の面でも破壊的な結果が現われてきた。現在では春の大雨は、かっての時代のように豊かに植物を育てるのではなく、余り障害がないので低地に向けて泥となって流れ、土地の低い広大な平原に激しい勢いで崖をくずし、土石流となり粘土や岩を運んでいくのである。これは河床の地力を回復し、栄養を与える好ましい土壌などといったものではない。逆に、それは数フィート以上もの沈泥となって平地を覆ってしまい、肥沃な土壌はその下になって利用することさえできなくしてしまうことも少なくない。

こうした過程によってもたらされた破壊や荒廃をみたければ、歴史上の過去の文明にざっと目を通してみるだけでよい。ギリシャ、ローマ、北アフリカ、スペイン、それにヨーロッパの各地域でみられた文化の消長・浮沈は、我々が、合衆国の近代文化にみられる急速な上下動として描いたカ一ブに似た形を見せているのである。

政治家のみならず大部分の民衆が、現在我々の直面している状況を自己満足しつつ眺めているのは、すぐ下流に大爆布のある急流を陽気な連中が漂っているのと変わりがない。彼らには破滅が差し迫っているという感覚の一かけらもないように思える。

土壌や分水界をいかに浪費的に扱っているかということの良い例は、最近ミシシッピー盆地で行なわれた実験を見てみればよい。アレゲニー山脈の西斜面を流れるオハイオ川は、この10年の間ほとんど毎年財産や人命を奪いながら猛り狂って流れ続けてきた。ミシシッピー川、特にミズーリ川の支流は、ロッキー山脈の東斜面を流れているが、河川管理がなされていないので広い流域が泥混じりの洪水に見舞われてきた。今では、この一連の大洪水を防ぐため、大きな流路に沿って堤防を築いて両岸をかさ上げしたり、分水界近くの高地にダムを作って、洪水を未然に抑えようといった連繋的な努力が行なわれている。こうしてできた人工湖は泥流を防ぐプールとなるが、すぐその効果が失われてしまうのは下流に流れなくなった石くずで埋まってしまうからである。計画的に再植林を行なおうと努力がなされてもいるが、草木、低木、樹木などが岩の上に絡みついた森をつくり、峡谷に沿って水をくい止める大きな防壁として働くようになるまで、自然が費やした何千年という時間のことを考えれば、現在行なわれているそうした努力も、予防としての効用がどれほど保証されるかはまったく疑問である。

ひじょうに破壊的な力を振るうものに風がある。高地であれ低地であれ地表が露出すると、風によって土壌は掘り起こされていき、風は地面を横切って行進を始めるようになる。我々はそれを砂嵐のデモンストレーションと呼んでいる。西部諸州を旅すれば、砂が移動し砂丘がうねって建物や木々が一部埋まっているのを見るのは、それほど珍しいことではない。我々が1937年にペルーの砂漠を横切って旅行していた時にも、一度ならず山のような砂丘がゆっくりとうねるようにして平原を移動していくのを見たし、時には、交通路を完全にふさいでしまっていたため、長い回り道をしなければならないこともしばしばであった。また、オーストラリアの東部の上空を未開の原住民集落を探して飛んでいた時にも、大きな森が大波のように行進する砂に呑み込まれつつあり、ほとんどの木がそのてっぺんまで埋まってしまっているのを見たことがある。

合衆国の地表のうち農業や牧畜に使えるのは、およそ全土の45%しかないと見なされていることを知っている人はわずかしかない。それも、利用できるぎりぎりの限界まできている地域をかなり含んでのことである。

西部を旅行したある機会に、私は5万エーカーもあろうという大牧場を訪れたことがある。私はその牧場主に、放牧している雌牛を育てる能力という点で牧場の土壌に消耗が起っていることに気づいているかどうか尋ねてみた。彼は農場がひどく消耗していると述べ、以前には毎年、牧場の牛は100頭当たり93匹から95匹もの子牛を生んでいて、そのほとんどが、子牛を産み続けるのに十分な優れた体質をもっていたのだが、今では普通、年間100頭当たり40頭から44頭しか子牛を得ることができず、そのうち子どもを産むのに適した体力をもっているのはたった10頭か11頭にすぎないというのである。彼はまた次のようにも言った。肥沃化を進める計画を実施していた50エーカーの土地で収穫した飼料を使えば、残りの5万エーカ一の牧場と同じ数の子牛を育てられたという。だが最近では牧場の子牛は他の州から移入しなければならなくなってしまったのである。

私が近くのある都市の公衆衛生局長に尋ねた質問は、1歳未満の子どもの死亡率がその市ではどうなっているかということであった。市では、医療費の負担できない者に、治療を無料にしたり、産前産後の世話を無料で受けられるようにしたにもかかわらず、その数字は徐々に増加してきていると述べていた。その死亡率は50年に2倍になったというのである。そこで私は、母子の死亡率が上昇していることをどう解釈するか確かめてみた。彼が言うには、実際、その原因を説明できないでいるとのことであった。しかし、最近の母親は、その母親や祖母たちの頃とは違って肉体的にお産がとうてい無理になってきたことは知っているとも言っていた。

事情を知らない人には、どうすればよいか答えは簡単なことだと思うだろう。だがこうした問題に責任をもって取り組んでいる人なら、消耗されたミネラルや食料要素を適切と思われる分量だけ補うことがいかに困難であるかをはっきり認識しているはずである。オハイオ州の農事局長から教えてもらったところによると、この50年ないし100年の間に消費された燐分を補充するだけでも1エーカ一当たり50ドルもかかるはずだという。また彼は、その問題は農民たちが銀行で金を借りて、その肥料を買おうとしないので、一層困ったことになっているとも言っていた。しかし、もし彼らが自分の土地を2倍にしようとして隣接地を買おうとすれば、元の時より2倍の金が借りられるのである。しかし、このことだけが問題のすべてではない。最近のデータによれば、大量の燐分が、植物に容易に利用しうる形であっても、一度に土地に施されると、植物は死んでしまうというのである。植物が徐々に利用できるよう、風化の過程を利用するような形態で農場に投入していかねばならないのである。燐分というのは土壌から容易に吸収される唯一のミネラルである。他のミネラルは供給するのがやっかいである。私は1フィート四方の菜園の土に匙一杯分のクエン酸鉄アンモニウムを撒いたところ、甜菜を5週間以内に重量でも大きさでも実際に2倍にした経験をもっている。

土壌の消耗ということが重要な問題であることは、多数の農場が合衆国各地で放棄されていることが何よりも雄弁に物語っている。厳しい経済不況により、商店や精粉工場の労働者は失業するに至ったが、そのことでかなりの人間が生計のため農地に帰らざるを得ないはめになった。かってはひじょうに肥沃であった農業地帯をドライブしてみれば、耕地に関する限り放棄されているのがはっきりわかる。

顔かたちと土壌との関係を研究した時に、私は、各地の人々が両親と比較して現在青年期にあるその子どもたちの世代では顔の形に変化が起きていることに気がついた。土壌の消耗という事実が、新しい世代には遺伝として現われているのである。たいていの地域では、成人として生活している3世代の比較研究をすることができる。比較に使う尺度は、先の諸章でつくっておいた通りである。その尺度を読者の兄弟姉妹にあてはめ、両親、ことに祖父母と比較してみることは、読者にとっても興味あることに違いない。来るべき世代が直面しているもっとも重大な問題というのは、土壌中のミネラルに消耗が起っているが故に、食物の内容という面でも欠陥が現われているという、克服し難いハンディキャップを負わざるを得ないことである。

引用文献

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