食生活と身体の退化
〜未開人の食事と近代食・その影響の比較研究〜

W. A. プライス著、片山恒夫訳

第8章 ポリネシア人:孤立した住民と近代化した住民


ポリネシア系種族の特色としては、直毛で卵形の顔、楽天的で陽気な気質、それに見事な体格をもっていることなどが、あげられよう。太平洋諸島が発見された時には、ポリネシア系の人々は、ハワイ諸島、マルケサス諸島、タヒチ、クック諸島を含むツアモツ諸島、トンガ諸島、そしてサモア諸島に住んでいた。

まず手初めに調査を行なったのはマルケサス諸島においてであった。ここはペルーから約4000マイル西の南緯9度、西経140度に位置している。初期の航海者たちも、南洋諸島に住む未開種族のなかでこの島の人ほど身体が美しく、発育もすばらしい人は他に例がないと熱烈にほめたたえたほどである。しかし、今日では虫歯が蔓延している。初期航海者の記録によると、10万人にも及ぶ陽気で楽しげなマルケサスの人々が7つのおもだった島々に住んでいたとある。だが、おそらく、今日この諸島でみられる悲惨な情景は、世界にも稀なものであろう。あるフランス政府の役人によると、原住民の数は2000人にも減少してしまったのであるが、そのほとんどが結核によるものであるということであった。時には天然痘やはしかなどの伝染病が猛威をふるい死亡率がひじょうに増加したこともある。およそ100人ほどいた成人と子どもの集団のなかに、明らかに結核の徴候の見られる痩せ衰えた咳の絶えない者が10人もいた。診療所が開く8時間も前から大勢の人が列をなして治療を待っていた。過去には原住民もすばらしい体格をし、立派な顔立ちをしていた。婦人の場合も美しい目鼻立ちをしていた。しかし、彼らも今や病に臥し、滅びゆく未開種族にほかならない。ところで、港には貿易船が入って、コプラ〔ココヤシの乾燥種子〕と精白小麦粉や砂糖が積み換えられていた。もはや住民たちは、海産物をほとんど食べなくなってしまった。虫歯もひどかった。調査をした時点で土地で産する作物や果実と輸入食品を併用している人々の歯は、36.9%も虫歯になっていた。原地食だけで生活している者はきわめてわずかであった。かって初期航海者は、マルケサス諸島の住民が美しく健康であることに驚き、マルケサス諸島を「エデンの園」と呼んだほどである。

タヒチはソシエテ諸島のなかで最大の島であって、赤道下の南緯17度、西経149度に位置している。幸いにも、ここでは身体的退化はさほど広がってもいず、深刻な状態でもなかった。しかしながら、タヒチの人口は以前20万人と推定されていた時から、今では約1万人程度に減少している。タヒチはフランス領に属していることから、第一次世界大戦中には、兵士として身体が健康な若者はフランス本国へ送られていった。だが、戻って来たのはほんの少数で、それも大部分は、身体が不自由になったり、手足を失くしたりした者であった。タヒチ人は実に陽気で快活であるが、人口の面でも健康の面でも自分たちが急速に衰退していっていることを十分自覚しているとはいうものの、未開生活を送る人々は図33にも見られるように立派な体格をもち歯列弓もすばらしいものがある。


図33 ポリネシア人はすぐれた人種で身体もがっしりしている。彼らの髪はまっすぐで、褐色の皮膚は日に焼けた欧州人のようであった。彼らは完壁な歯列弓を持つ。

タヒチの首都パピーテには、仏領太平洋地域を統轄する本部が置かれている。この町には相当数の外国人が在住し、商業活動も活発で港に出入りする船も多い。だから輸入食品の使用も多い。マルケサス諸島と同様に、ここでも完全に土地の食物に依存している人は少ない。しかし、数は少ないとはいえ原地食で生活してきた人には、虫歯に対する完全な免疫ができていた。ところが部分的にせよ精白小麦粉、砂糖、缶詰などの輸入食品を摂って生活している原他人は、その31.9%が虫歯になっていた。図34に示したのは、歯の悪くなった近代化したタヒチ人の典型例である。タヒチには、雇用労働者として連れて来られた中国人の大居留地がある。彼らは年季が明けても帰国しなかった。タヒチの男子たちが戦争から帰らなかったので、残された妻たちは働き者の中国人と結婚したのである。

クック諸島は英国領で、ニュージーランド政府が直接統治にあたっている。諸島の中心はラロトンガ島である。この島は、太平洋上南緯21度、西経160度付近に位置している。気候は1年中すばらしい。種族の伝説によればニュージーランドの原住民マオリ族はクック島からやって来たと伝えられている。たぶん1000年以上前にこうした分離がおこったとしても、マオリ族とクック島の原住民は身体の発達パターンや風采が似ているばかりでなく、言語の面でもひじょうによく似かよっており相互の意思疎通も可能になっている。

南洋諸島の住民たちが熟練した航海者であり船大工であるということはきわめて重要なことである。というのは、平和が目的であろうと、戦争が目的であろうとにかかわらず1000-2000マイルもの航路を十分な水や食糧を積み込んで自らの手や風に頼って旅をするといったこともそれほど珍しいことではなかった。

ラロトンガでは、相当数の人がほぼ完全に土着の食物に頼って生活していたが、虫歯はわずか0.3%しかなかった。しかし、この島一番の港町アバルアの近くでは人々はほとんど輸入食物を食べていたが、何と29.5%が虫歯だった。図35(上)は、健康な顔と歯の例である。しかし、左下の写真は港に住み、その両親が輸入食品によって生活している子どもを撮ったものである。この少年の上顎側切歯は歯列弓の内側にはみ出ている。一方、右下の男の子の乳歯は歯並びも正常である。

英国人の指導によって保健衛生面で、クック島は、マルケサス諸島やタヒチ諸島よりはるかに優れている。ここは、人口がそれほど減少しているわけでもなく、港の周辺で起っている身体的退化の問題以外には、それほど重大な問題もないようである。クック島の人々は、慎しいなかにものびやかに楽しそうで、原地人らが運営している学校制度をはじめとして、クック島独自の文化を発展させる動きも起っている。


図34 土地の食物にとって代って輸入食品が普及しているところでは、例外なく必ず虫歯はまさに猖獗をきわめるに至る。上の写真は近代生活を送る典型的なタヒチ人である。


図35 上図のポリネシア人はラロトンガ島の住民たちである。上の2人はすばらしい歯と顔立ちの典型例である。左下の写真は生粋のポリネシア人の子どもであるが、歯列弓がひじょうに小さいので側切歯が内側に生えている。両親は輸入食品を常食していた。右下は、白人とポリネシア人の混血児である。永久歯が生える前の乳歯であるが、歯と歯の間隔が正常なのに注意されたい。この子どもの両親は土地でとれる食物を食べている。

トンガタブを首都にもつトンガ諸島の住民はポリネシア人である。トンガ諸島は100人以上の島からなり南緯18度から22度、西経173度から176度にわたって分布し原地住民の人口は2万8000人である。この国の特色は世界最後と言われる絶対君主制を敷いていることである。英国の保護下にありながらも内政はほとんど自国で処理している。時おり商船がやって来る以外は、外部とまったく隔絶されている。他の島民からは、トンガ人は太平洋におけるもっとも勇敢な戦士だと評価されている。トンガ人自身少なくともそれを自認しており、事実、世界中でもっとも偉大な人々なのである。彼らは道で他の民族と出会っても道をゆずったりしない。というのも、世界が創造された時、最初に生を受けて登場したのが他ならぬ彼らで、その次が豚、白人は最後に出現したのだと、彼らは口をそろえて言うのである。民族学的には、彼らは、縮れた髪と色の濃い皮膚をもったメラネシア人と、くせのない髪と色の浅い皮膚をもった東方の群島に住むポリネシア人との混血であるとされている。トンガ族は今まで戦いに敗れたことがないとも言われている。何世紀もの間、トンガ族と700マイルも西方にいるフィジー族は何回となく戦争を繰り返してきた。しかし、英国政府は巧妙にもこの種族間の対立をスポーツの戦いにすりかえてしまった。私たちがフィジー島に滞在していた時、年中行事になっている「力の祭典」に出場するフットボール・チームをフィジーからヌクアロファヘ連ぶため、英国政府が巡洋艦を出動させるという場面にでくわした。

トンガの島民は、背が高く体力のある結婚相手を選ぶことによって、優生学の原理を実行していた。事実、この島の女王の身長は6フィート3インチもあった。

トンガにはあまり商船や交易船がやって来ないこともあって、輸入食品の入荷が少なく結果的に原地住民はおもにその土地で採れる食物で生活せざるをえなかった。しかし、第一次大戦後、コプラの価格が1トンあたり40ドルから400ドルにも値上がりし、コプラと交換するため精白小麦粉と砂糖を積んだ商船がやって来るようになった。それらが入ってきたことの影響は歯の状態を見れば一目瞭然である。孤立した地域でその土地に産する食物を常用している人々の場合、虫歯にかかっている割合は0.6%であったが、港近辺に住んで一部輸入食料をとり入れている人々では、虫歯の罹患率は33.4%だった。調査を行なっていたとき、ちょうど育ち盛りの時期にあった者の歯に、輸入食料の影響がはっきり現われていた。しかし、今では商船が寄港することもなくなり、それがかえって幸いしているともいえよう。コプラの価格が1トンあたり4ドルに落ちたことから食品の輸入量が減少して虫歯の進行もほとんど止まっていた。したがって、一時的に虫歯が増加したのは、明らかに商船の来訪と直接関連していたのである。

サモア諸島は南緯14度付近、西経166度から174度の間に位置している。サモアの原住民はポリネシア系である。ここは2国による分割統治がなされている。東の群島はアメリカが治め、西の群島は、第一次世界大戦後に英国領となるまではドイツの支配下にあった。西サモアは現在、ニュージーランドの委任統治の下におかれている。さて、アメリカ領サモアの総督と海軍将校のはからいで、補助艇でアメリカ領サモアの島々に行くことができた。特に感謝しなければならないのは厚生長官のステフェンソン海軍中佐で、私たちは客として手厚いもてなしを受けた上に、米領サモア諸島のほとんどすべての村の人々とうまく会えるように力添えをしてくれたのも彼だった。サモアは太平洋諸島中、衛生事業がもっとも組織的になされていることを知った。トトイラの港パゴ・パゴにある病院、その他ほとんどの村落にも通院可能な場所に診療所が設置されていた。パゴ・パゴは太平洋における最良の港である。アメリカやオーストラリアから商船が毎月定期的に往来しているにもかかわらず、孤立して生活している集団は、大部分その土地に産する食物で生活していることがわかった。最近こうした集団に対して、歯の健康状態に関する調査がファーガソン海軍中尉(1)によって実施されたところである。

サモア人の顔と歯列弓がすばらしく発達していることは、図36の上段に見るとおりである。両親が近代食を始めると、子どもたちの顔の形や歯列弓にどのような影響が出るか、その例が図36の下の部分に示されている。歯がひじょうに不規則になっていることに注意してほしい。太平洋諸島のなかでも、このサモア諸島は人口の減少がさほどに見られず、むしろ幾分増加している数少ない諸島なのである。海軍には歯科医が1人しかいない。彼の仕事は、この駐屯地で海軍の要員やその家族を診察することであった。したがって原地人のために歯を抜くといった、急を要する治療にしか時間を割けられないのだった。米領サモアの住民の約9割は、サモア諸島最大の町、トトイラに住んでいる。そこは道路が発達していたから、船が着く日には、かなりの人が港に来て細工物を売ったり、土地で採れる食物を補充するため食料を買いこむ。港に住んで部分的にではあるが輸入食料に頼っている人と、港から遠く離れたところで原地食だけで生活している人々の歯の状態を比較してみると、つぎのようであった。原地食だけで生活している者の歯は、0.3%しか虫歯になっていなかったが、輸入食料を用いている者の歯は18.7%も虫歯にかかっていた。この島で食べられている海産物は貝類が多く、ほとんど若者が採って来て売っていた。また、蛸、蟹、なまこなども生のまま食べていた。


図36 上の写真は未開の状態にあるサモア人、下は近代食の生活をしているサモア人であるが、上と下の写真に見られる歯列弓の違いに注意されたい。下の写真では、顔の骨格が未発達なため歯列弓が狭く小さく、歯もいわゆる叢生の状態である。これは両親の栄養摂取が適切でなかったことの結果として現われたものである。

ハワイ諸島は北緯18度から22度、西経154度から160度の間にある。ここは今まで述べてきた太平洋諸島とまったく様子が異なっている。というのは砂糖とパイナップルの農場が広大な面積を占め、両方がここのもっとも重要な産業となっている。多くの地域では、主としてフィリピン人、日系人、ハワイ人など異人種やその混血の人々が住んでいる。アメリカ人も多くヨーロッパ人もかなりいる。各種各様の人種がそれぞれの風俗や習慣を数多くもち込んだため、ハワイ固有の風俗、習慣のなかにこうした異文化が急速に浸透しつつある。外国人の数に比べてハワイ原住民の数がきわめて少なくなっていることと、異種族間の結婚が一般化してきたことから、原地食だけとか近代食だけとかで生活している生粋のハワイ原住民を大きな集団ぐるみ探すことは困難であった。したがって調査できたのはそれほど大きな集団ではなかったが、虫歯や退化病の罹病率に関して比較に耐えうる数の貴重なデータを得ることができた。太平洋の各諸島ではどこも、食物の調理には地面を掘って熱した石を並べたかまどを使っているのだが、ハワイ諸島では、独特なやり方でタロいもを調理する。タロいもを石のかまどで調理するのは他の諸島と同じであるが、それからが違っている。煮たタロいもを乾燥させてから粉末状にし、水と混ぜた後、普通は24時間かそれ以上発酵させるのである。こうしてできたものはポイと呼ばれ、発酵作用によって少し酸味を帯び、どろりとした糖蜜状か濃いクリーム状のようなものになる。ポイは指を1、2本使ってすくい上げ、その指をなめるようにして食べる。やわらかいので噛み砕く必要はない。その土地の食物を食べている地域では虫歯は2%しかなかったが、精白した小麦粉、甘味食品を主とする輸入食料に大きく依存している住民の場合、37.3%の歯が虫歯にかかっていた。図37は、典型的なハワイ住民の写真である。また、図38は、虫歯の典型例である。この少女は結核にもかかっている。


図37 近代文明の影響を受けたポリネシア諸地域では、顔の形が変ってきているが、それは兄弟姉妹でも下の子になるほど顕著である。このことはここに示すハワイ人家族の姉妹たちにもよく現われている。右下の妹の方の顔の形に注意してほしい。顔は長細く、鼻孔は狭く、あごも引っ込んでいる。ここには種族特有の顔立ちといったものはもはや見られない。


図38 近代化の進行につれてポリネシア系種族は急速に消滅しつつある。上の少女にも見られるように、虫歯の症状も極度に悪化している。彼女は結核を患っているが、この病気も近代化に付随する身体疾患の一つである。これがあくまでも身体上の問題であるという点については後に述べるつもりである。

これまで述べてきたような南洋各諸島における虫歯と食事との関連についての研究は、私たちの調査活動の単なる一部にしかすぎない。以前に行なった現地調査で、虫歯に対する免疫と抵抗力をつけるのには、正しい食事による正しい栄養摂取が重要な要素であることが明らかになったので、化学分析用の食物のサンプルを集めたり、食事に関する詳細なデータを収集することも、今回の研究活動の大事な課題であった。

食事の種類が、不規則な歯並びや歯列弓とどう関連しているのかという点についても、資料を集めた。また調査活動の一端として、病院が存在するところでは、主として結核患者を分類するのに必要な資料を得るために、入院患者を調査した。このような研究は、アラスカとカナダの北部や、中部に住むエスキモーやインディアンを調査した時にも行なったことである。

もし、数千人の人口をもったある地域社会で、3割もの歯が虫歯にかかっており、しかも歯科医は1人もいないし、歯科治療に必要な器具もまったくない場合を想定するならば、多数の虫歯の患者がそれに耐えられるとは、誰だって本気にしないだろう。営利を目的とした通商や貿易は、まず、南洋諸島の孤立の壁を打ち破る道を示しはしたものの、衛生機関や救急対策の発達はそれよりずっと遅れ、交易の進行とともに知らず知らずのうちに必要になってきたものである。

発育期、妊娠期、授乳期など身体組織に大きな負担のかかる時期にもっとも虫歯になりやすいのであるが。すばらしい歯をもった大人でも、原地食から近代食に切り換えた場合には虫歯になって健康を損ねてしまうのである。その土地で産する食物の他に海の動物性食物をふんだんに摂取している人たちは概して丈夫な歯茎をもっていた。しかし、海産物の摂取量が少なくなると、歯の付着物が増えそれに伴って歯肉が感染し歯牙支持組織が著しく破壊されるのである。こうした状態は、特に港湾近辺の住民がその土地の食物を一部近代食に変えたときなどであった。

アメリカ領サモアでは、学校当局と衛生局長であるスティブンソン海軍中佐の協力と、口腔外科医のローリー海軍中佐の指導の下に、原地人から4人の青年指導員を選び、歯の付着物を取り除くための講習を行なったのである。幸いなことに器具については一部、ある歯科器具製造会社が親切にも気前良く提供してくれた。たぶんこれが太平洋の全諸島中、原地人による最初の歯科診療活動であったと思う。4人は基本理論を理解できる聡明さと能力をもち、予防法の指導実践についても、大いに推賞しうるほどの実力を身につけた人たちであった。私は、彼らに石鹸を渡し、抜歯した歯を一定の比率に拡大した模型を作るよう頼んだ。その結果は、アメリカの歯学生が初めて作った時の平均的な出来栄えに勝るとも劣らないものだった。サモアの住民は手先がたいへん器用で、木材やその他の材料を彫刻するにあたっても、腕のいい芸術家であった。

原住民の若者たち数人にある応急手当の方法を教えれば、近代化の過程にあるものの、歯科医療を受けられないここの人たちにも大いに役立つことだろう。そして、アメリカの古き時代の巡回歯科医がそうであったように、この連中も土地の食料や原地産の品物などを治療代として受け取るようにすればよい。商品買売が通貨で行なわれないうちは、アメリカ人やヨーロッパ人の歯科医への治療代も、現金で支払うことはできないはずである。

これらの種族の大部分は大自然によって与えられたすばらしい歌い手としての肉体的条件を備えている。その芸術的手腕は、伴奏や指揮者が無くても、難かしい歌を歌いこなすことからもうかがうことができる。トンガ諸島のヌクアロファの住民たちのコーラスは、無伴奏のまま、ヘンデルの「メサイヤ」からハレルヤコーラスをすべての声部にわたって驚くべき音量と抑揚をもって歌いあげるのである。また大きな船を漕くといった労働や彼らのスポーツも陽気な歌に乗って行なわれることが多い。

島民の多くは彼らの種族が退化病によってとりわけ結核のために滅亡するのではないかと心配している。ただ種族が亡びさえしなければ、というのが彼らの最大の願いなのである。そして彼らは、近代文明に接触するようになってから、何か深刻な変化が起ってきたのだと気づき始めた。近代文明が本国アメリカでも海外でも問題視されていることは確かである。

ポリネシア原住民はこれまで各種貝類を含む海産物を常食としてきた。太平洋諸島における虫歯の罹患率は、もっとも孤立した地区の0.6%から近代化した集団の33.4%まで地域によって大きな開きをみせていた。一般に、土地に産する食物を食べ昔ながらの環境の下で生活している者は、顔の形や歯列弓の形状も正常でその種族の身体的特徴をよく現わしている。しかし普通の環境に住みながらも輸入された精白小麦粉、砂糖、砂糖製品、シロップ、精白米などを使用している人たちの子どもには、顔の形と歯列弓の形状に顕著な変化がみられるのである。

引用文献


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