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第6章 北米インディアン:孤立した住民と近代化した住民(前半)
焼けつくような熱帯のジャングルから北極に至る多様な気候区分に、同一種族が適応する能力をもっていることを、大自然はアメリカを舞台にして大々的に証明してくれているように思われる。アメリカインディアンの様々な種族は、明らかに、同一の人種的起源から派生してきたようである。人類学者が示しているように、彼らがアジアからアメリカに到達した道筋は、ベーリング海峡を経由するものであった。一人のロシアの技術者がベーリング海の流氷塊を90マイルも踏破し、アジアからアメリカヘ渡ったのは、まだ10年も経っていない比較的最近のことである。もし、こうした移動が今でも可能なら、たとえば、最後の氷河時代やその後の時代、あるいはそれ以前の氷河時代といった世界史の黎明期にはもっと実現する可能性があったことであろう。それゆえアメリカインディアンは、異なった環境に適応する能力と、異なった環境が同じ種族にもたらす多様な生活様式とを同時に研究できるまたとない機会を与えてくれるのである。現在のインディアンが、一般的にいってコロンブスがアメリカを発見した当時の原住民とは似ていないということは、遺骨資料や古い文献からも明らかにされている。
我々の研究課題の一つは、見つかるとしてのことだが、古い系統を継いでいる種族集団の発見と調査をすることで、その集団は種族の伝統に従って生活をしており、できるだけ白人の影響を受けていないことが望ましい。ちょっと考えるとそうした集団が存在するとは思えないようなのだが、実際のところ、今なおアメリカ大陸には、これまで踏査されたことのない地域に古い種族が住んでいる広大な土地がある。白人との接触、特に白人の食物との接触による影響ができるだけ少ないインディアンを発見するために、私は北ブリティッシュ・コロンビアとユーコン地方に住むインディアンに研究目標を定め、ロッキー山脈の奥地にあたる北部カナダに向った。帰路の燃料を補給する基地がないため飛行機も使えないし、またマッケンジー川を航行するのも不可能であった。マッケンジー川とその支流を上ってカナダを通り抜ける航路も、時間がかかりすぎて同じ季節に帰ってくることは不可能であった。
そこで私たちは、スティキネ川の大水路を進んでアラスカ側からユーコン地方に入るルートを選んだのである。この川はコーストとカスカード山脈を走っており、ロッキーの西側にある分水界を水源地としている。特に私たちが期待しているのは、海の動物は海から上ってくる鮭でさえ手に入れることのできないようなインディアン集団に近づくことであった。そこで獲れる魚といえば、北極海に流れ込む川には入って行かないものばかりである。私たちはテレグラフ・クリークにある目的地まで、スティキネ川を速く上れるよう特に設計された高馬力の河川用輸送船を使用した。この地には毛皮と交換するため、大量の近代食品が夏の短期間だけ運行する船便によって運び込まれ、長い冬に備えて貯えられているのである。ここにはハドソン湾交易所も設けられている。ここで私たちはロッキー大分水嶺を越え、北極に向けて北上する河川の源流へと至る道を行くため、トラックを1台チャーターした。この前進基地で2人のガイドを雇うとともに、高馬力の平底船をチャーターして、ディーゼ川とリアード川を北極に向って下ることにした。こうして1933年の夏、ハドソン湾会社の設営した最後の前進基地で、貯えた毛皮を交換するためペリーの山岳地方からやって来たインディアンの大集団と出会うことができたのである。カナダインディアンの多くはカナダ政府と協定を結んでおり、それによって政府は彼らに1人当たり毎年一定の補助金を与えている。この協定があるため、内陸部のインディアンも補助金をもらいに指定きれたセンターにやって来るわけである。補助金は家族の人数に基づいて計算されるので子どもも全員連れてくる。しかしながら、ブリティッシュ・コロンビアとユーコン地方のインディアンはこの協定に頑として調印しなかった。だから、彼らは食料を自給しなければならず、未だにオオジカやトナカイの群れを求めてさまよう遊牧生活を送っている。
ここの冬は厳しく華氏零下70度にも達する。このため酪農用の動物を飼育したり、種皮穀物や果物を栽培したりすることはできない。食事といえばほとんど捕獲した野生動物に限られている。こうした厳しい条件の下で生活する彼らを研究するのはひじょうに重要である。彼らは自然法則に関する知恵と、厳しい気候条件や食物の種類も限られしかもそれを手に入れることもひじょうに困難な食料条件下にありながらも、そうした条件に自らを適応させる技術とをもっている。だからこそ他の種族がほとんど近づこうとはしなかった厳しい大自然のもとで快適に暮らしていける生活技術を発達させることもできたのである。こうした種族の間では名誉を重んじる気持がひじょうに強く、彼らが猟に出払ってしまい、その間小屋が一時的に空家になっても、実際、どの小屋も鍵が掛かっていることなどはまったくない。またインディアンたちが所有する貴重な品物も人目につく場所に置かれたままである。訪問者には驚くほどもてなしがよく、他人に利用されだといった経験のない人々はひじょうに親切であった。ここのインディアンの多くの女性は私の妻を見るまで白人の女性を見たことがなかった。快適な暖かさを保ち、氷点下の気候をものともしないような小屋をつくる技術にみられるように、彼らの木工術に関する知識は目を見張るものがある。また、前もって食料や薪を蓄えようとする計画性は、彼らの共同体精神を大いに際立たせていた。インディアンが家族と共に湖や川のほとりの宿営地へ移住するといった時には、つねに薪に使う量より少し多目に木の皮をはいでおくので、宿営地を訪れてくる人があっても、乾燥した立木の量は十分間に合うわけである。
彼らは灰色の大熊が棲息している地域に住んでいる。大熊の毛皮は珍重されており、彼らは落とし穴をしかけてその熊を捕獲していた。我々が退化病として述べてきたある種の身体の病気を防ぐのに動物の器官や組織を使い分ける彼らの知識は、驚くべきものであった。通訳を通じてなぜインディアンは壊血病にかからないのかと一人の年老いたインディアンに尋ねたところ、彼は直ちに、それは白人の病気であると答えたのである。また、インディアンでも壊血病にかかることはないのかと聞くと、あると答えた。だがインディアンはそれを防ぐ方法を知っており、白人は知らないのだという。なぜその方法を白人に話さないかと尋ねると、白人は何もかも知っているために、インディアンには何も聞こうとしないからだという答えが返ってきた。そこで私には話してくれるかと聞くと、彼は酋長がいいと言うなら話そうと言ってくれた。彼は酋長に会いに行ってから、1時間そこそこで戻ってきた。彼の話によると、酋長は私がインディアンの友人であり、インディアンに白人の店で売る食品を食べないように言うために来たのだから話してもよいと言ったということであった。彼は私の手を引いて1本の丸太の所へ連れて行きそこに2人は腰をかけた。彼はインディアンがオオジカを射止めた後それをどのように解体するのか、また腎臓の真上にあたる背中には彼の説明によれば脂肪に埋まった2つの小さな玉があるというが、それがどんなふうにあるか詳しく話してくれたのである。インディアンはこれを一家の子どもにも大人にも与えるよう人数分に細かく刻んで各人が自分の分を食べるのだとも言った。第二胃の胃壁も食べるそうである。動物のこうした部分を食べるので、ビタミンCの不足で起こる壊血病にかかることもないのであろう。インディアンたちはビタミンCを副腎と腎臓から得ていたのである。近代科学が副腎があらゆる動物や植物の組織のなかでビタミンCのもっとも豊富な供給源であることを発見したのはごく最近のことである。私たちはここのインディアンが我々の仕事におけるもっとも協力的な人たちであるということに気づいた。もちろん私たちは彼らに喜んでもらえそうだと考えた贈り物を用意してきたのだが、測定したり写真を撮ったりするのにも、また歯列弓の歯1本1本の状態を詳細に研究するのにも、まったく何の困難もなかった。化学的な分析を行なうために、唾液と食物の標本も手に入れた。図15に示したのは、巨木が生い茂った森に住む典型的なインディアンの家族である。
歯の状態および歯列弓と顔の形状は申し分ないものであった。検診を行なったいくつかの集団からは、これまで虫歯にかかったことのある歯は実に1本も見出されなかった。87人の総計2464本の歯を診たが、腐蝕した形跡がある歯はたった4本しかなかった。これは0.16%に相当する。こうした社会から文明世界に戻って近代文明に接触することの多い別の集団を引き続いて研究したところ、急激に虫歯が増加していることがわかった。白人の食物との接点のテレグラフ・クリークでは、検診した歯のうち虫歯は25.5%にも達していた。スティキネ川を下ってアラスカの最前線の町へとやってくると、虫歯は40%にまで増加していたのである。
図15 北カナダの森林に住むインディアンの典型的な家族の写真からすばらしい健康状態がうかがえる。彼らは大木の庇護のもと、食料の宝庫の真っ只中でさながら野生動物のような生活をしている。
孤立した集団では関節炎の発生に関して注意深い調査も行なった。孤立集団ではこの症例は1件も見聞しなかった。しかしながら、例の近代文明の作り出した食物と接触のある地域となると、約20軒ほどのインディアン集落には寝たきりの身体障害者10人を含めて多くの関節炎の症例が発見された。この地域でみられる病気は関節炎だけではない。そのなかでも特に結核はここで生まれた子どもたちを容赦なく犠牲者としていた。図16には頸部リンパ腺結核の典型的な2例が示されている。ここで虫歯にかかると悲劇的である。というのは、100マイル以内には症状を和らげてくれる歯医者も医者もいないからである。
図16 近代的な市販食品を食べるといった近代化した地域では、インディアンの健康問題はたいへん深刻なものとなっている。近代生活を送るインディアンの子どもたちは、未開人がめったにかからない結核で死んでいる。
孤立した場所で、これまで蓄積してきた知恵に従って今なお生活している、極北部のインディアンの身体は申し分ないものであった。実際、第三大臼歯の埋伏を含めて不揃いな歯並びは見られなかった。親知らずが生える年齢に達した者には例外なく、しかるべき位置にしかも正常な咀嚼機能をもったこの第三大臼歯が生えていたことから、このことは歴然としていた。歯列弓のすばらしさは、図17に示した通りである。インディアンたちが白人の食物を食べている所では図18に示したように虫歯がひじょうにひどい。白人の文明と接し、その食物を摂るようになった後で生まれた新しい世代では、多くの者が図19に見られるように、歯列弓の形が歪んでいわゆる「かぎ歯」になっていた。
ハドソン湾の南方にいる比較的孤立した未開インディアンの代表的な種族とも接触した。そこへは、マニトバ州ウィニペグから東方と北方に向って新しく敷設された鉄道が延びてきていた。私たちはその地で、ハドソン湾に流れ込む河川の周辺の出身者や、北はジェームズ湾近辺から出て来たインディアンと接触することになった。彼らは弾薬や毛布と交換するために毛皮を売りにやって来たのである。この接触は年に2、3度しかなされなかったので、インディアンたちの1年間の食事全体に大きな影響を与えるほど大量に白人の食料を持ち帰ることなど、まったくできないことであった。彼らは現在でもその地に棲息する野生の動物を捕獲して生計を立てている。先にも見た北部地方と同様、彼らが捕獲する動物はおもにオオジカであった。このインディアンたちは政府と協定を結んでおり、その多くは政府の補助金を得るためこの最前線の地へやってくるのだが、やはり彼らの家族を同行するよう義務づけられていた。補助金は1人5ドルということになっていたが、これで毛布や他の品物が買えるので結構な収入だった。このような交易地点は、ジェームズ湾やハドソン湾に向って北や東に流れる川や、スペリオル湖に向けて南に流れて行く河川を分かつもっとも高い土地にあった。ここは北部河川地帯の種族と五大湖地方の種族との出合いの場所となった歴史的な地域でもあった。そこで戦いが行なわれたことも何度かあった。ハドソン湾やジェームズ湾の分水界地域からやって来たこうしたより未開の集団と比較するために、私は自分たちの毛皮を近代人の食物と交換する便利さからその近辺や鉄道の沿線に住むようになった家族を研究する機会をもった。これは私たちが近代食の人間に与える影響を調べるのに絶好の機会だった。その1例を図20に示しておいた。このインディアン夫婦は白人たちと接触する前に身体がもうできあがってしまっており、夫の背丈は約6フィートもあった。両親共にすばらしい歯列弓をし、顔の造作も立派であった。彼のは図20(左上)に示されている。写真に写っている2人の子どもたちは、両親が鉄道によって持ち込まれた白人の食物を摂るようになった後で生まれた。2人とも口で息をし歯列弓が狭く顔の中ほど3分の1が著しく未発達なのがわかる。一番年長の女の子は結核にかかっている。図20(右上)にはもう一人男の人が写っている。彼の同世代の人もそうだが、彼もひじょうにすばらしい歯列弓とよく発達した顔の持ち主である。
この地域でも、若者の多くが結核にかかっていたり、関節炎で手足が不自由になったりしていた。図21には2つの例が示されている。
図17 オオジカやとなかいの肉といった原地産の食料で生活している地域ではどこでも、顔や歯列弓の形状など身体の発達ぶりは見事なもので、虫歯に対してもほぼ完全な免疫をもっていた。これら2人の婦人と2人の少女がその典型である。
図18 市販食品に接触している地域ではかならずインディアンの歯は極端に悪い状態にあった。その典型例が上の4人である。
図19 白人の商売がもたらす害悪は、両親が近代食品を食べ始めてすぐ後に生まれた世代においてさえ、その歪んだ顔のいたるところからうかがえる。この写真は歯列弓の形態異常をもった子どもの典型例である。狭い鼻孔と叢生歯からもわかるように顔面骨の不全発育に注目してほしい。
図20 中央カナダに住む未開インディアンたち。3人の親たちが育ったのはこの地に近代文明の波が押し寄せる以前であった。2人の子どもの挾まれたような鼻とは対照的に身体も顔もすばらしい形をしている。一番年上の女の子は結核にかかっている。この子どもたちは未開の両親が文明化した結果の産物なのである。
図21 この2人の少年は、未開インディアンが我々の近代文明に接する時点で現れる典型的な身体障害者である。左の少年のほとんどすべての関節が炎症をおこしていた。また数本の歯には膿瘍ができていた。右の少年は脊椎結核である。
孤立した集団と、近代文明と接触している集団との比較を、一層鮮明にするために、オンタリオ州ブラントフォードにあるカナダ最大のインディアン保留地で調査を行なった。ここには、4700人のインディアンが、カナダ政府の手によって高度に近代化された環境のもとで暮らしている。彼らはカナダの近代都市からさほど遠くない、土壌豊かな場所に定住している。各家族の長には政府から広い土地が与えられ、普通その土地の収穫からだけでも自動車が買えるほどの収入がある。現代の白人の生活水準からみても、生活必需品はいうに及ばず、いわゆる賛沢品も多数購入できるほどであった。また、政府は管理のゆきとどいた病院と職員をこの保留地に設置している。病院長のデービス博士に、当時(1933年)病院は何に使われていたのかと尋ねたところ、彼がここへ来てから28年間に、入院の理由がすっかり変ってしまったのだという。1933年には出産関係が第一位だとのことだった。彼はこの期間に三代にわたる母親を診察してきた。現在の祖母たちの出産の時には、ショールをひっかけて、家族の誰か1人に付き添ってもらいながら草むらのかげで子どもを産み、そして子どもを連れて小屋へ戻るのであった。出産は、たいして難事ではなかったようであった。しかし、今の若い母親となると、陣痛が起ってから数日後には、病院に通い出す。彼女たちは、こと出産能力に関するかぎり、祖母はもちろん母親たちともまったく異なっていると彼はいう。私が博士と会見した日の午前中にも、出産のための外科的手術を2件もしなければならなかったとのことである。
このインディアン保留地において、私たちは近代化の影響を調べる機会に恵まれた。インディアンは熱心なスポーツ愛好家であり、特にカナダの国技であるラクロッス〔ホッケ一に似た打球技、双方12人ずつで行なう〕が好きである。私たちは、他の保留地のチームとの試合を観戦することができた。インディアンの家族たちは近代的な装いをして、モダンな自動車に乗ってやって来、菓子店で炭酸飲料、キャンディー、その他の菓子類を買っていた。こうしたインディアンたちは高度に近代化されていた。
この保留地には、約4700人のインディアンが住んでおり、モホーク、オノンダガ、カユガ、セネカ、オネイダ、デラウェアの6種族から成るイロクオイ部族を構成している。後にカロライナ地方から来たツスカロラス族がこのグループに加わった。白人との混血が多いが、それでも純粋なインディアンの家族もかなりいるので、インディアンと白人の混血がもたらす影響を調べることもできた。以前の調査と同じように、8歳から16歳までの子どもを特に研究対象とした。そして異なった環境毎に典型的なケースを選んだ。たとえば、男女生徒が選ばれたモホーク学校という名の職業訓練所は、ブラントフォードという町の近くにあり、一種の環境条件を代表するものであった。ここでは約160人の生徒が訓練を受けており、彼らは半日学び、残りの半日は労働をするのだという。男子生徒は工芸と農業を、女子生徒は家庭科と洋裁それに将来の家庭造りに役立つ実際的な訓練を受けている。ここに来る生徒の大部分はこの保留地出身だが、他の保留地からも入学している。興味深いことに、この学校の生徒の77%が虫歯の初期段階にあり、検診総数の17%の歯がすでに虫歯にかかっていた。しかし、この虫歯は明らかに入学以前のもので、現に症状が進行している例は1例もなかった。これは、彼らがバランスのとれた栄養をとっていることとも関連しており、特に注意しておかなければならない。この学校は優れた乳牛を飼育し、新鮮な野菜、全粒パンを給食としており、砂糖や精白した小麦粉の使用は制限していた。
この学校の生徒と同学年のこの保留地にある公立学校の生徒と比較してみると、公立学校生徒の90%は虫歯をもっており、そのうち70%は現在でも明らかに腐蝕が進行していた。そして、この公立学校のグループでは28.5%の歯がすでに虫歯にかかっているということは注意しておく必要がある。
また、あらゆる治療が無料で行なわれるという保留地病院の患者も検査した。結果は83%の人が虫歯に悩まされており、総本数の23.2%の歯がすでに虫歯にかかっていたのである。
家庭のなかの人間、特に母親の歯の状態に強い関心があった。ある典型的な若い母親は、ほぼ半数の歯が虫歯になっており、7歳の息子の歯も同じようなものだった。その子の顔の中ほど3分の1は発育が不十分で、上の前歯は、全部歯茎まで虫歯に冒されていた。
虫歯と栄養に関して、典型的なアメリカインディアンの生活ぶりを比較評価するために、ニューヨーク州のとあるインディアン保留地で調査を行なった。この研究のために私が訪れたのは、ナイアガラ爆布の北東にあるツスカローラ保留地の450人の面々であった。調査は戦歿将兵記念日に行なわれたので、ここでも住民がお祭り気分にひたっているところに出くわすという幸運に恵まれた。年中行事であるラクロッスや野球の対抗試合が、近くの町からやって来た白人チームとインディアンチームとの間で戦われるのである。何百人ものインディアンたちが、自慢の衣裳や乗り物や武勇ぶりを披露するために集まった。それほど近代化も進んでいない年輩のインディアンたちは顔立ちがみんなよく似ており、それに反して若い世代には顔の発達に著しい欠陥がある者が多い点が私の目をひいた。
一人の母親をその家庭に訪れた。彼女には4人の子どもがいた。彼女の歯は虫歯に食い荒らされていた。その近代的な暮らしぶりはいくつかの虫歯を金で充填していたことからもわかる。しかし歯根はまだ残っていた。20本の歯が今も虫歯に冒されている。4歳の末娘は、12本の歯が猖獗性の虫歯だった。もう一人の娘は8歳で虫歯は16本、10歳になる息子には6本の虫歯があった。また、その夫はたぶん結核だと思われる重い肺病を患っていた。私たちがその家庭を訪問した時、子どもたちはちょうど昼食の最中で、精白パンと野菜のシチューを食べていた。ミルクは腕に抱かれた赤ん坊だけに与えられていた。ツスカローラでの調査の結果、83%の人が虫歯にかかっており、歯の総数の38%が虫歯に冒されていた。ここの住人で調査の対象になった人は、一人残らず精白した小麦粉で作られた食品を食べており、ミルクを十分飲んでいる者はおらず、限られた量を飲んでいる者がほんの少数いただけだった。聞くところによると数年前までは、両方の保留地でもインディアンは家族のために十分な穀物とミルクを自給できるよう、小麦を栽培し乳牛を飼育していたが、最近になってこの習慣は行なわれなくなったという。今では、精白した小麦粉や大部分が缶詰になっている野菜を買っている。両保留地では、市販の植物油、ジャム、マーマレード、甘味食品、シロップや菓子類をふんだんに常用していた。ひじょうに幼い時から子どもたちが近代文明のもたらしたお菓子を口にしている点は、注意を要することである。
北米に住む近代的なインディアンの様子をもっと鮮明に描き出したいと考えたので、私はマニトバのウィニペグ湖畔にあるインディアン保留地を訪れた。ここはウィニペグ市の北東に位置し、高度に近代化の進んだ保留地である。
ここに住むインディアンに会うのはひじょうに困難であった。というのは、ブロークンヘッド川の河口という立地条件からここが自然の要塞となっていたからである。彼らには肥沃な土地がカナダ政府から与えられ、近代的な農業技術が指淳されていた。隣接する大湖には魚がかなり豊富に棲息しているので、その気にさえなれば、彼らの先祖が何世紀にもわたって行なってきたように大量の魚を捕えることができた。ところが住居は荒廃したたたずまいをしており、土地には家畜や馬がいるにはいるが、どうみても飼育状態は良いとはいえず、その数も少なかった。ここの人々には、カナダ政府が学校と必需品の供給や物資の援助を行なう政府機関を設置していた。また、保留地から至便のところには病院も設置され、近代的な治療を受けることができるようになっていた。こうした好条件にもかかわらず、身体的には彼らはひじょうに劣悪な状態にあった。虫歯は蔓延しており、実際、調査した歯全体の39.1%が虫歯であった。この保留地のインディアンは、輸入品の精白小麦粉、ジャム、缶詰野菜、多量の砂糖など近代食品にほぼ完全に依存していた。そして90%以上の者が猖獗性の虫歯にかかっていた。以前に調査したインディアンの2集団よりも、ここの保留地の人々の健康状態と必需品の供給状態はかなり劣っているようであった。夏季も末という気候の良い時期でさえ、彼らが疲労しているのが目にみえて明らかなのだ。
これまでに述べてきたインディアンは内陸に住み、陸で採れる食物を主として食べていた。したがって、次には、太平洋岸に住むインディアンを調べることによって海産物の人体への影響を確認する必要があった。太平洋沿岸に千年以上も町に住んでいたインディアンたちの身体の状態、とりわけ歯の状態を調べるために、バンクーバーにあるバンクーバー博物館を訪れてみたが、幸いにもそこには有史以前のすばらしい標本が残っていた。ここに展示されている頭蓋骨のなかには、バンクーバー内の道路拡張のために、丘を切り開いた時に発掘されたものもあった。その丘は青々と茂った樅の大木の原始林で覆われ、土の中には、樅の本以外の倒木が埋もれていた。その5、6メートル下からは、古代インディアンの人骨が埋葬されているのが発見された。博物館には、他の地域から発掘された有史以前の頭蓋骨も収められていた。歯に注意してみると、すべてすばらしい形状のものばかりで、虫歯の形跡もまったくない。歯列弓は見事に均整がとれており、歯はしかるべき位置に規則正しくはえていた。
古代人の歯を見て、大体同じような地域社会に住む子孫たちの状態を調べる必要が生じてきた。そこで、北バンクーバーのあるインディアン保留地に住むインディアンたちの歯や身体の一般的状態を検査した。場所が場所だけに彼らは近代文明の利器や食品を使用していた。8歳から15歳までの子どものうち、検査した歯の36.9%は虫歯であった。このなかには誰一人として原地の食料を主食としている者はいなかった。
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