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第5章 エスキモー:孤立した住民と近代化した住民
有史、先史を問わず、人類は同じ地域にあって、代々一つの文化を受け継ぎながら、しばしば多くの遺跡や芸術を残してきた。人類の歴史は、そうした様々な文化の盛衰の歴史だったのである。しかし、こうしたなかにあって、今日なお存在するエスキモーは、石器時代の健全さに満ちた暮らしぶりを、実例をもって我々に見せてくれる。マヤ民族は滅びてしまったが、その遺跡は残っている。北米ではアメリカインディアンが、急速に変貌と滅亡の途を辿っている。厳寒の北極にあって何千年ものあいだそれに耐えうるような種族が形成されるには、いかに大自然の恵みに頼らねばならないことか。エスキモーたちが守り続けてきた昔ながらの生活様式が、このことを生きながらに実証してくれるはずだ。アメリカインディアンと同じように、近代文明との接触によって衰微するまではエスキモーの種族も繁栄していたが、接触の度を強めるにつれ、すべての未開種族がそうであるように衰退し滅亡することだろう。
エスキモー社会が未開の状態にあるときには、いかなる時代のいかなる種族にもめったに劣りはしないほど、卓越した身体と完壁な歯をもっている。私たちはこの偉大な業の秘密がどこにあるのか是非知りたい。というのは、彼らの生活環境そのものが、彼らの身体の優秀性を形成する際に、抑制因子として入り込む要因の力を、大いに弱めるような効果をもっていると思われるからである。この研究の主たる関心は、エスキモーの歯の状態や顔の型にみられる特徴、および近代文明との接触がそれらに与える影響を明らかにすることにあるが、それと同時に、彼らの栄養についての考え方を知ることにも強い関心が払われている。それがわかれば、例の秘密も解き明かされ、それによって不幸な現代人、いわゆる文明種族を救えるばかりでなく、うまくすればエスキモー民族の保護に役立つ方策も打ち出せるかもしれないからである。
白人の出現とともに白人がもち込んだ病気によって、エスキモーとインディアンが人口でも身体面での優秀さでも、ともに急激に低下したことは悲しい事実である。このアメリカ大陸に住む先住民の絶滅を防ぐための方策を早急に見つけ出すことこそ、我々にとってもっとも緊急かつ挑戦的な課題なのである。
エスキモーの歯の状態に関しては多くの研究報告がなされている。どの報告内容も、研究した集団に関するかぎり間違いなく信頼できるものだった。しかし、対象に選ばれた集団は、おもに交易ルートの近辺に住むエスキモーたちであった。これらの人々がもっとも未開の種族を代表するものではないことは明らかであり、そのような未開種族の集団を探せるのは、近代文明の手の届かないような遠隔の地でしかない。どうやら、問題は孤立した地域に住むエスキモーを見つけ調査することが是非とも必要だということである。しかし、そこに行く手段となると、冬は犬ぞりを使えるが、夏にはそれもかなわないだろう。
アラスカ各地でエスキモーの人類学的な研究をしてきたアレクシス・ハドリチェカ博士のおかげで、もっとも未開な種族がユーコン地方と、クスクオキム川の河口や三角洲を含むブリストル湾との間の、ユーコン地方の南にあたる地域に住んでいることがわかった。政府の出張所がクスクオキム川のほとりに置かれているが、公用船がそこに物資を配給するため、クスクオキム川の河口に入ってくる。船には役人は乗っているが、一般の乗客はいない。船がやってくることによって文明がこの地域に伝えられ、特に船が着くベッスルという地点を主とする限られた地域では、近代食品が食べられるようになった。さらにここに運ばれた食料の一部は、小さな船尾外輪汽船によって川上の居留地に運搬される。しかし、エスキモーの多くは、そこから数百マイルも離れたクスクオキム川の河口とユーコン川の河口の間の島々やアラスカ本土に住んでおり、近代食にはほとんど、あるいはまったく接してはいないのである。
したがって、1933年にエスキモーの実地調査を行なうにあたっても、長距離を旅するための交通手段として飛行機で行くほかはないような遠隔地に、どうやって行くかを考えなければならなかった。私の妻も記録の整理を手伝うために同行した。私たちはまず、西アラスカのセワードまで汽船に乗り、そこから汽車でアンカレッジまで行った。そこでアラスカ西部や中部の各地を訪れるための飛行機をチャーターした。飛行機に野外生活に必要な道具をつみこみ、調査の予定地に向けて飛び立ったのである。雄大なマッキンレー山を頂点とするすばらしいアラスカ山脈は、南西に位置するアリューシャン半島からこの広大なアラスカ地方の中心部まで延々と連なっている。アメリカの最高峰は1万4502フィートのホイットニー山である。カナダでは、1万9539フィートのローガン山がある。しかし、アラスカにはこれよりも高い山がいくつもあり、その多くはこのアラスカ山脈に列している。たとえば、マッキンレー山は2万300フィートもある。私たちが調査を予定している地域に行くには、どうしてもこの壮大な山脈を越えなくてはならなかった。特別仕立ての飛行機には発受信両用の無線機を積みこみ、通信隊のほかに、中隊の本部や支部にも連絡がとれる態勢をとっていた。予定していた空路には雲が多く、そのためパイロットは、視界のきくところを求めて150マイルもずらしたコースを飛行しなければならなかった。アラスカ山脈のかなたには、人の住んでいる気配などまったくないような荒野が果てしなく広がっていた。ただオオジカが、しばしば目にとまったぐらいだった。
私たちの最初の目的は、できれば、ストニー川のほとりに住むと伝えられるインディアンの一群を探し求めることにあった。彼らはひじょうに未開な状態にあると言われている。この地域に詳しい私たちのパイロットも、ここへ着陸するのは初めてだという。ここの人々はみんな、泳ぎまわる鮭を捕えたり、それを保存するのに忙しく働いていた。鮭は天日で乾燥し、数時間薫製にしてから冬の食料用に貯蔵される。このように働き者の彼らは、アラスカ中部、南部、および東部に居住するインディアンとはまったく異なった身体の特徴をもっている。ここで調査したのは12人だったが、そのうち10人は土地の産物を常食としていた。この連中の合計288本の歯を検診した結果、虫歯にかかっていたのはわずか1本だけ、つまり全体の0.3%しかなかった。残りの2人は、ストニー川の本流であるクスクオキム川から上ってきた人たちであった。以前住んでいたところでは、ベセルからクスクオキム川を船で上ってきたかなりの量の「保存食品」を彼らは口にしていたのである。この2人の歯は27%が虫歯にやられていた。
私たちはさらに進んで、クスクオキム川流域にあるスリート・ミュートに行った。そこでは、土地のものだけを常食としてきた3人にめぐり会った。3人とも1本の虫歯もなかった。また、別の7人は土地の産物と近代的な「保存食品」を併用していたが、12.2%が虫歯にかかっていた。
隣り村のクルケッド・クリークでは、8人の歯を検査したが、全員の歯216本のうち41本、すなわち18.9%が虫歯にかかっていた。8人のうち、1人を除いてすべてが、例の「保存食品」にかなり依存していたが、例外となった1人だけ虫歯がなかったのである。
ナピミューテにおける調査では、16%の歯が虫歯になっていたが、ここではただ一人として、その土地でとれる食物〔以下では原地食、土着食と名づける〕だけで生活している者はいなかった。
クスクオキム川沿岸の最大の居留地であるベッスルは、白人の村であるとともに周辺のツンドラ地域から多くのエスキモーが訪れるところでもある。ここで調査した88人は、大半がエスキモーか白人との混血であった。これらの人々の2490本の歯のうち、281本、すなわち11.6%は虫歯に冒されていた。88人中27人はほぼ完全な自然食派であり、その総本数796本のうち1本、つまり0.1%強が虫歯になっていた。また、政府の物資供給船で運ばれてくる近代食にほぼ完全に頼っている人々が40人いた。この場合、虫歯は合計1094本の歯のうち252本、21.1%だった。原地食と近代食を併用している残りの21人に関しては、600本のうち38本、つまり6.3%が虫歯にかかっていた。
クスクオキム川の河口にあってベーリング海に面しているコカミューテの村では、かなり未開のエスキモーを大量に調査することができた。彼らは、とりわけ近代文明とほとんど接触をもたないネルソン島付近から移ってきた者たちだった。この集団では28人の計820本の歯のうち、虫歯はたった1本、0.1%にすぎなかった。
ベッスル島は、クスクオキム川にある島で、そこへは夏になると冬の食料用に魚を仕入れるために、ツンドラ地方からエスキモーたちがやって来る。この島で行なった調査では、15人のうち13人は完全に原地食で生活しており、彼らの410本の歯はまったく虫歯にかかっていなかった。ベッスル島生まれの2人は、60本のうち21本、つまり35%の歯が虫歯にかかっていた。
クスクオキム川の下流に住むいろいろな集団を調べると、完全に土地の食物を食べていた72人は、2138本の歯のうち、わずか2本、つまり0.09%しか虫歯になっていなかった。この同じ地域で、近代食を併用している81人の2254本の歯を調べると、394本、13%が虫歯にかかっていた。この数字は原地食だけの場合に比べて、実に144倍にあたる。
つぎには、市販の近代食品と長年接しているグループを調査する必要があったが、このためにホーリー・クロスという地域が選ばれた。この村は、北極圏にあり、ユーコン川のほとりに位置している。数十年間にわたって夏季のユーコン川沿岸商業と関係してきたところである。アラスカで一番古くしかも最大の組織をもつカソリック伝道所もある。調査の対象となったのは、すべてこの伝道所に縁のある学校の生徒であった。生徒たちの出身地をみると、北氷洋に面しているバーロー岬、西はベーリング海峡にまで及んでいる。生徒たちのうち、1人を除いて他の全員がここに来る以前から近代食品に親しんでおり、ここへ来てからも近代食をとっていた。伝道学校に来るまではもっぱら原地食で育ったという残りの1人には、虫歯はなかった。それに反して、近代食品を大量に食べていた8人には、虫歯にかかったことのある歯が224本中、42本、全体の18.7%もあった。また4人が原地食と近代食の両方をとっていたが、彼らに関しては、112本の歯のうち4本、3.5%が虫歯にかかっていた。
興味深いことに、エスキモーとインディアンは共存はしていたが、両種族間の結婚はみられなかった。エスキモーはユーコン川とクスクオキム川の下流とベーリング海の沿岸に住んでいる。ところが、インディアンは、この2つの川の上流地域に住んでいる。つぎに選んだ調査地域は、クスクオキム川上流のマッキンレー山脈からさほど遠く離れていないマクグラスという所であった。そこは、クスクオキム川を航海する船尾外輪汽船の上流折り返し地点であり、アンカレッジやフェアバンクスからノームやその他の西の地域へ向かう、アラスカ横断航空路の、分岐点としてひじょうに重要な地域でもある。ゴールド・ラッシュの煽りで住みつくことになった白人の探鉱者や坑夫がその人口の大部分を占めている。そのなかにはエスキモーやインディアンの女性と結婚している者もいる。調査した21人のうち、たった1人だけがほぼ現地の食物を常食としていたが、彼女だけが虫歯にかかっていなかった。他の20人はおもに輸入食品に頼っており、527本中175本、33.2%が虫歯だった。
マグラスの住民の中に、ある特筆すべき家族がいる。父親はアメリカ人の採鉱技師で、アラスカに長く滞在した人である。彼の妻は、魅力的なエスキモー女性で、すばらしい知性と人柄を兼ね備えた人である。彼女は、もともとクスクオキム川下流の出身で未開のエスキモー種族の一員であった。採鉱業者たちによって、この家族にもアメリカから海を渡ってやってきた食品が入り込むこととなった。けれども彼女は幼いときの訓練を生かして、季節が巡って来ると鮭を取ったり貯蔵したりして、それを彼女自身の重要な栄養源としていた。エスキモーの流儀にしたがって鮭を乾燥し、薫製にしたのである。彼女には、20人以上も子どもがおり、私に全部の子どもの名前を教えてくれた。しかし、今残っている子どもは11人だけで、何人かは結核で失くしていた。きつい労働の連続にもかかわらず、この母親は虫歯に1本もかかっていなかった。ただ、下の前歯が折れていた。この女性の写真が図9の左上にある。後で述べるように、歯の咬耗はエスキモーによく見られる特徴でもある。しかし、彼女がすばらしく均整のとれた歯列弓をもっていることは注目に値する。彼女の子どもたちや夫それに娘婿を加えて、8人はほとんど近代食を摂っており、212本中、41%の87本の歯が虫歯になっていた。生きている子どものなかで一番年上の女の子は22歳だったが、彼女の上の歯列弓は幅が狭く歯は何本も虫歯にやられていた。もう一人の16歳の女の子は、顔立ちは美しいが歯列弓はやはり狭かった。この少女は飛行機のエンジンにひじょうに興味を示し、私たちを乗せた飛行機が整備と給油のためにマグラスで機体を休めている間に、飛行機のエンジンの調整や点検ができるようになったとパイロットが言っていた。まちがいなく、彼女は採鉱技師の父親の才能を受け継いだものと思われる。でも彼女の歯は12本も虫歯にやられていた。
未開生活を送っているエスキモーたちに虫歯がないということだけでは、どれほど彼らの歯がすばらしく発育しているかを理解することはできない。顎の大きさと強さ、顔の幅、咀嚼する筋肉の強さなどどれをとっても、他の種族ではめったに見られないほど優れている。図9にいかにも典型的だと思われる例を示しておいた。聞くところによると、普通の大人のエスキモーだったら両の手に100ポンドずつ、それに歯に100ポンドの重さの荷物を下げてかなりの距離を楽に運ぶことができるという。このことは、あごと同様、身体の他の部分もひじょうに発達していることを物語っている。またみごとに発達した筋肉組織が身体のあらゆる部分でみられることから、ひじょうに立派な歯をつくり出したのが、そうした顎の働きだけによるものでないことを示唆している。さらに、まれにみるほど良質の歯が形成されるおかげで堅い食物でも噛めることが、虫歯に対する免疫をつくりだす重要な要因となっていることもわかってきた。やがて述べるように、そのような卓越した身体の発達と立派な歯の構造に恵まれた人も、原地食を止めて近代食をとるようになったときには、歯の腐蝕が進行しはじめるのである。
図9 典型的なアラスカエスキモー原住民。顔と歯列弓の幅が広いこと、虫歯のないことに注目してほしい。左上の婦人は下の歯が1本折れている。彼女には26人の子どもがいるが、子どもたちには虫歯が1本もなかった。
これまで、エスキモーの人々の歯が、過度に摩滅していることを指摘する文献のなかでは、いろいろなことが報告されてきた。とくに婦人の場合、その原因は革をなめす時に歯で噛む習慣にあると考えられてきた。歯髄が見えるほど歯冠が極度に摩滅している人も多数いることが検診によってわかったのだが、髄室が空洞になっているようなケースがなかったことは興味深い。それらは常に第二象牙質で覆われていた。これは重要な点である。というのは、今日の最新の知識によれば、彼らが食べている食物に特別な化学的成分が含まれているため、ミネラルや賦活剤の強化された食事をしているときと同じようなプロセスがおこって、その結果、第二象牙質の形成が歯髄腔の内部ですみやかに行なわれるのではないかと考えられているからである。ある老人の下唇には1つの傷あとがあったが、それは部族の習慣にしたがって装飾をほどこすために穴を開けたあとである。私は原始種族がこういう傷あとを付けているのを世界各地で目撃した。
未開地のエスキモーがおもに身につける外出着は、頭をすっぽり覆い、細ひもで首の回りをきちっと締めることができるようなフードのついた、パーカと呼ばれる毛皮製ジャケットである。これにはもう1本ひもがついており、これを調節すると、フードから顔の出る部分の大きさを変えることができるようになっている。
図10 未開のアラスカエスキモーの母親たちは強くたくましい子どもを育てている。彼女たちは虫歯に蝕まれてもいない。
夏になると毛皮ではなくて布やふつうの皮でつくったものを着る。図9はごくふつうにみられる格好である。ここでも歯が極度に摩滅しているが、そのことは後でまた触れたい。
ベーリング海からの吹きさらしの風のために、夏でも婦人たちは皮のジャケットを着ている。このあったかい服を着た母と子が図10に写っている。エスキモーの女たちの針仕事は上手であり、しかも芸術的だ。彼女たちは衣服をきれいに見せるために、いろいろ違った色の皮を使う。また、セイウチの歯をとったり、何万年も前にツンドラ地帯を歩きまわっていた毛深いマンモス象の牙を掘り出したりして、象牙細工の芸術的な装飾品をつくる。前頁の写真の婦人がしている耳飾りはその典型的なものである。この婦人の歯は文字どおり「二連の真珠」である。歯列弓の幅が広いことにも注意しておくことが大切である。図10の子どもを見れば、誰だってそのすばらしい健康に感銘を受けるにちがいない。私たちは、いろいろの機会を通じて彼らと接したが、お腹をへらしていたり、よその者を見て恐がったりする時以外に、子どもが泣く光景にお目にかかったことがない。母親の母乳がきわめて豊富なのも一つの特徴である。母乳はほとんどいつも正常に出るし、しかも1年間は無理なく続く。彼女たちは虫歯と完全に無縁であり、聞くところによると、エスキモーの子どもたちはいとも簡単に歯でものを噛み切るということだ。
エスキモーにみられるような歯の優秀さはアラスカ各地で発掘された頭蓋骨にもみられる特徴であった。
このように見事にできあがった歯は虫歯に対する高い免疫を保持するので、こうした自慢すべき歯を持っているエスキモーたちは、絶対に歯の病気に煩わされることはないと期待する向きもあるかもしれない。しかし不幸にもそうとは言い切れないのが真相である。この事実は、虫歯の原因に関する近代的な理論を評価する際ひじょうに重要な意味をもつ。第15章で論じるように、大人のエスキモーたちも原地食を止めて近代食を摂るようになると、広範囲でしかも重症の虫歯にかかることが多くなったのである。このことは図11にはっきりと出ている。エスキモーの歯がさんざん蝕まれ虫歯に悩まされていることがわかるだろう。この4人は近代食品を常食してきた人間で、ベーリング海のあちこちの港町に出入りする多勢の者たちの典型でもある。これらの地区には歯医者はいないので、虫歯にいったんかかると、それはしばしば悲劇的な苦境に追い込まれることになる。成長期にある少女にこの近代化が及ぼした典型的な影響としては、前歯とその他の16本の歯が虫歯にやられるという例があった。この子の場合、64%の歯が虫歯ということになる。
図11 アラスカエスキモーが白人の食べるものを口にすると虫歯が進行する。ひどい歯槽膿漏になることも多い。多くの地方では歯の治療を受けることができないので、痛みも強く、長びく。
アンカレッジもそうだが、エスキモーが住んでいる場所から何百マイルも離れた所にあるフェアバンクスを別にすれば、南海岸の近くに位置するアンカレッジの北方や西方に広がる西アラスカ地方には歯医者はまったくいない。冬場に犬ぞりで旅をするには何ヶ月もかかるし、夏場でも、飛行機以外の交通機関を使ってこの距離を旅するということは実際上不可能だろう。そうかといって、飛行機などここの人が利用できるわけがない。したがって、入院とか医歯学的な治療を必要とする病気に突然おそわれたりすると、彼らのジレンマはまさに悲劇的なものとなる。内陸地域に住むある鉱夫は歯を治療してもらうために医者に飛行機で来てもらったところ、2000ドルもかかったと話していた。私が彼の歯を診察すると、32本のうち29本が虫歯であることがわかった。
近代における身体退化の重要な局面である、顔や歯列弓の形とか、その他の身体上の外観に生じる変化を考察するのは興味深い問題である。その意味で、孤立した地域に住み、その土地の食物を常食としているエスキモーの歯列弓が一様に大きく、顔かたちもエスキモー特有のものであるというのは、ひじょうに重要な事柄である。原地食を止めて近代食を初めて採用した世代でさえ、顔かたちや歯列弓が著しく変形している者がひじょうにたくさんいる。図12には、4人のエスキモーの娘たちが写っているが、彼女たちは、両親の手によって近代食品を与えられた最初の世代の面々である。4人とも歯列弓が歪んでしまっている。側切歯が内側に沈下したり、犬歯が外側に押し出されている様子に注目することが大切である。この顔のかたちは現在では混血特有のものとされているが、この4人の娘たちは、ちゃんとした歯列弓をもった両親から生まれた生粋のエスキモーである。
私たちが特に関心をもつのは、彼ら未開のエスキモーが何を食べているかである。たいていどの家も深い流れのほとりかその近くにある。彼らがカヤック〔アザラシの皮を張った小舟〕をあやつる技術は大したものだ。鮭が海から上ってくる季節になると、彼らは大量の鮭を乾燥させて貯える。カヤックから大量の鮭をモリで刺すのだが、小さい男の子でも実にうまい。とても持ち上げられないほどとてつもなく大きい鮭をしとめるのだ。この小舟からアザラシを射とめる腕も確かである。このアザラシから採れる油がエスキモーたちの栄養にとってたいへん重要なのである。魚は1匹ずつ腹を割かれアザラシの油のなかに浸される。私は彼らからアザラシ油を少し分けてもらって、ビタミンの含有量を分析するために研究室に持ち帰った。その結果わかったことは、ビタミンAの豊富なことにかけては第一級であるということであった。
魚は風にあてて乾燥させるために物掛けにつるしてある。魚の卵も図13でみられるように、よく乾燥するように拡げて並べてある。これらの食物は離乳後の子どもたちの重要な栄養源となっている。当然のことながら、この吹きさらしのベーリング海峡に舞い散る砂粒は、乾燥のために吊り下げられている魚の湿った表面にくい込み、ぴたっとくっついてしまう。このことが、男といわず女といわず、エスキモーの歯を著しく摩滅させる主要な原因となっているのである。
図12 歯列弓の異常や叢生は未開エスキモーの集団からは実際にはそれほど多く発見されていないが、両親が白人の口にする食物を食べ出した後で生まれた子どもの代になると、こうした症状が頻繁にみられる。子どもたちの狭くなった鼻孔や変形した顔に注目してほしい。これは親指をしゃぶったせいではない。
図13 子どもも大人も食べる重要な栄養源と考えられている鮭の卵は、乾燥されてから貯えられる。これは婦人たちの生殖能力の増進のためにも使用される。化学的な観点からみても、この卵は私が知っているかぎりではもっとも栄養価の高い食品の一つである。
自給状態にあるエスキモーの食生活に登場してくるものには、カリブー〔トナカイの一種〕の肉、小ねずみが集めてきて隠し場所に貯めている落花生、シーズン中に採集し越冬用に貯えてあるケルプ〔大きな海草類〕、冷凍にして保存しているつるこけももなどの漿果〔小さくて水分を多く含む果実〕、アザラシの油に漬けた果実花やすいばの草、それに大量の冷凍魚類がある。もう一つ重要な食物がある。それは海に棲息している大きな動物の内臓であり、ある種類の鯨の皮の一部なども食用にしている。こうした臓物類にはビタミンCがひじょうに多く含まれていることがわかっている。
近代文明と接触するようになってからというもの、アラスカに住むエスキモーの人口は急激に減少しつつある。ある筋によると、この75年間にその人口は50%減少したということである。
V・E・レヴィン博士とネブラスカにあるクレイトン大学のC・W・バウアー教授は、平均寿命が急速に短縮してきていることに関係づけて、ある重要な所見を提示した。彼らは次のように報告している。
1934年10月26日、アラスカ、コルドバにて---結核やその他の病気の感染によってアラスカのエスキモーたちの平均寿命はわずか20年しかない。近代医学が彼らを助けないかぎり、二、三世代のうちにこの種族は絶滅する運命にある。猟鳥獣類の肉や海産物の自給が妨害されているという今日の状況が根本的に変革されないかぎり、エスキモーの人口は減少の一途を辿り、絶滅の時期も早められるに違いないだろう。近代的な缶詰工場ができることによって、エスキモーたちへの鮭の豊富な供給が侵害される結果、加工していない魚食品が彼らの口には入りにくくなってきている。
図14 この白人の少年はアラスカの地で生まれ育ったが、輸入食品を常食していた。彼の顔の変形は、空気の吸排機能の未発達にもつながっており、そのため彼は口で息をしなければならない。つまり骨格が十分に発達していないことが歯の叢生の条件をつくり出している。彼の鼻孔が小さいことに注目してほしい。
アラスカエスキモーとの関連で2人の白人の少年(1人は図14に写っている)について興味深い話をしておこう。2人は鉱山技師の息子である。アラスカのとある鉱山のキャンプで生まれ育ったが、食料品といえばほとんどすべてが船で入ってきたものだった。私は旅の途中、口でしか呼吸できない2人に、アメリカで鼻の手術を受けさせるために付き添っている母親と道連れになったのだった。図14に写っている少年の顔の中ほど3分の1と下の3分の1の両方に、著しい発育不全の状態が観察できることは大切な点である。2人の発育期と成長期には、この家族の食生活はアメリカから船で送られてくる加工食品に大部分依存していた。2人の顔にみられる形態異常は、高度文明社会の多くの人たちの間で進行している形態異常の典型例であり、総じて、近代的な食生活に移行した後で未開種族に現われるあの顔の奇形にも類似している。
エスキモーの住んでいるところは、9ヶ月も10ヶ月も冬ばかりで夏季はほんの2、3ヶ月しかない、世界のなかでもかなり荒涼たる地域に属しているにもかかわらず、また植物性の食物、酪農食品、卵といった食料がひじょうに長い期間にわたって手に入らない地域であるにもかかわらず、エスキモーたちは、海産物や貯蔵してある緑草、漿果、海草などからミネラルやビタミンの全必要量を自分たちの身体に摂り入れることが可能だったのである。
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