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第3章 スイス:孤立した住民と近代化した住民(前半)
高原地方では虫歯などを含む疾病が少ないことからもわかるように、高地で作られる食物には栄養価の高いものが多いといわれている。このことを見極めるために、私は1931年、32年と続けてスイスを訪れ調査研究を行なった。私の希望は、もしできるなら、孤立しているためにその土地でできる作物によってもっぱら食生活を支えているような物理的環境にある集団を、スイスのなかで見つけることにあった。物理的な孤立状態に対してうまく対処しているような人たちをスイスのなかで見つけることができるかどうか、スイス政府の役人に意見をもとめてみたところ、次のような答えが返ってきた。近代的な食品も手に入らないようなところだから、物理的な諸条件が障害となって並みたいていのことでは行きつけないのではないかというのである。しかしながら、全長11マイルのレッチュベルグ・トンネルの完成と、海抜1マイル足らずのレッシェンタール峡谷を横切る鉄道の建設とによって、1930年も終わりに近い頃、研究対象としておよそ2000人からなる一つの集団を容易に選ぶことができた。実際に、何世紀もの間、この谷の住人たちにとって必要なものは、海塩などの2、3の品目を除けば、そのほとんどがこの谷で作られてきたのである。
図1 海抜1マイルほどの美しいレッシェンタール峡谷。およそ2000人のスイス人がここに住んでいる。1932年の時点では、この谷の歴史の中で結核で死んだ者は1人もいなかった。
レッシェンタール峡谷を入口の方から鳥瞰した写真が図1である。この谷の住人は1200年以上に亙る歴史をもっている。この地で見られる木造建築---多くのものは建ってから数百年にもなるという---の様式には便利さと能率を併せもった素朴な安定感を愛する気持が現われている。建築後何百年にもなる建物の内外に使われている重そうな柱には美しくデザインされた座右銘が深く刻みこまれている。それら処世訓は物質的な価値ではなく文化的および精神的価値への信仰を昔ながらに伝えている。この谷は外から何度も侵入されようとしたが、ここの人々は決して征服されはしなかった。川がローヌ峡谷に下っていくところの、でこぼこした深い裂け目を除けば、このレッシェンタール峡谷は常雪の3つの山脈によって、ほぼ完全にとり囲まれている。人工的な山崩れによって土砂が簡単に放出されるおかげで、どんな攻撃に対してもわずかな小隊でこの道を守ることができたのである。また自然の山崩れによる土砂が、ある時には1年のうち数ヶ月間にもわたって、峡谷に通じる道を危険にさらすこともあった。この谷に伝わる古い伝説によれば、これらの山脈は世界の胸壁であり、谷の大氷河はこの世の果てでもあったという。この氷河はユングフラウ山やモンク山の万年雪から南西に張り出した大氷原の一部なのである。しかしながら、これらの山々は危険に満ちた氷原のせいで、こちら側から接近するといったことはめったにない。旅行者には知られているが、ラウターブルンネンか、あるいはグリンデルバルトの谷道に沿ったインターラーケンからの道が、入口となっている。
レッシェンタール峡谷の標高では、冬は長く、そして夏は短いが美しく、驚くほど急速でしかも実り豊かな植物の生育がみられる。牧草地は、アルプスの草花やパンジーなどのすみれの花のかぐわしい匂いに満ちあふれ、花は深い深い色合いでもって夏中咲き乱れる。
レッシェンタール峡谷の人々は、彼ら自身にとって一つの世界として連綿と続いてきた、2000人からなる共同社会をつくりあげている。彼らにはほとんど必要がないので、医者も歯科医もそこにはいないし、警官や刑務所もまったくいらない。彼らの衣服はそこで飼われている羊の毛を使った丈夫な毛織物であった。谷は衣服に必要なあらゆるものだけでなく、実際に食事に必要なものもすべて生み出してきた。全ヨーロッパのなかでももっとも立派な体格を造り上げたのも、まさに谷のなせる業であった。そのことはローマのバチカンを守ったあの有名なスイス人護衛兵---世界中の賞賛を浴び、スイスの誇りてもある---の多くが、当地やその他の谷から選抜されていたという事実によっても示されている。バチカンの教皇庁護衛兵になることが、ここレッシェンタールの少年すべての願いなのである。結核はスイスでもっとも深刻な病気なのであるが、政府の役人が私に話してくれたところによると、この谷の最近の検査報告にはただの1人も記されていないということである。スイスでの私の研究はこの美しい谷に1つしかない教会の神父である、J・ジーゲン師のひとかたならぬ協力に負うところが大きい。
ここの人々の大多数は堤に沿った谷床にそって点在している村々に住んでいる。主に冬の家畜用の干し草とか、食物用のライ麦を作るための耕地は、川の近辺から広がって、時には山手の方へ険しくせり上がっている。一方山を覆っている森林は防災上貴重なものなので、まったくといっていいほど荒らされていない。幸いにも、ここの比較的少ない人口を養うのに必要な面積をはるかに上回る土地が、山手の広大な地域に拡がっている。森林は、村をのみこみ破壊する雪崩や地滑りを防ぐのにきわめて必要なものであるため、細心の注意が払われて保護されている。
谷には教室での授業と実践的な作業とを交互に行なう、一つのすばらしい教育制度がある。すべての子どもは1年のうち半年は学校に通い、後の半年は、老若男女を問わずすべての人力が狩り出される農業や酪農の仕事を手伝うことになっている。この学校制度はカトリック教会の直接の監督下におかれており、現在もうまく運営されている。少女たちには機織、染色、裁縫も教えられる。毛織物業は婦人たちの冬の主な家内仕事となっている。
山道を往来する荷運びには、トラクターはいわずもがな、トラックも、馬車さえも使われていない。すべては人間の背中---ここの人々の心臓はとくにそのために強くなっている---でなされるというわけだ。
私たちのここでの第一の関心は、そのような強靱な心臓や並みはずれた体格と密接な関連をもっている歯の質および顔の発達の2点にある。私は1931年夏、大人と発育盛りの子どもについて調査を実施し、夏と冬、月におよそ2回、私のもとへ食品、とくに酪産物のサンプルを送ってもらう約束をとりつけた。私はこれらの食品のミネラルとビタミンの含有量、とりわけその脂溶性賦活剤の含有量を調べてみた。その結果、このサンプルのビタミン分は豊富で、欧米や、スイスの当地より標高の低い地帯で作られている標準的な酪農商品のそれをはるかにまさっていることがわかったのである。
まぐさは冬の家畜用飼料として刈られては、またものすごい勢いで生育する。私の研究室で行なった化学分析によれば、このまぐさは牧草用や貯蔵用としては普通のものより、数段良質であることがわかった。ほとんどどの家庭にも山羊か牛のどちらかあるいは両方が飼われている。夏になると家畜はもっと高地にある牧草地を探し求めて雪解けの地を追いかけていく。それより低地にある谷間は雪解けによって空いたままになっているが、そこはまぐさやライ麦の収穫のために使われる。翌年のライ麦の取り入れを準備するために土地の掘り起こしをしなければならないのだが、鋤やそれを引っ張る動物さえいないため、それも人間の手に頼らざるをえない。野菜類はごく少量栽培されているが、これは主に夏の食料である。牛たちは暖かい夏を、万年雪の氷河や氷原に隣接した緑の草木で覆われた小高い山々や、樹木のよく茂った山の斜面で過ごすわけだが、その期間はきわめて豊富に乳が出る時期なのだ。夏の収獲物のなかでこのミルクは重要な位置を占めている。まぐさやライ麦のところに集まるのが男や少年だとしたら、女や子どもはミルクを絞ったり、すぐにやってくる冬に備えてチーズを作って保管するために、大挙して畜牛のもとに集まる。このチーズには極上のミルクに含まれている自然の乳脂肪やミネラルが入っており、これは来たるべき冬において活力の実質上の宝庫となる。
私はジーゲン博士から、ここの人々の生活や習慣について多くのことを学んだ。彼に教わったところによると、氷河と隣り合わせになっている牧草地に牛がやってくる6月に作られた活力を与える良質のバターのなかには神の力が存在している、とここの人々は信じているのだという。雪線の辺に茂る草を牛が食べる時つくられ、人間に活力を与える良質バターやチーズのなかに、存在の証をお示しになる心優しい父なる神に感謝するために、彼はここの人々を集める。この信仰篤い行事には、牛たちが快適な夏の牧草地にやってきた直後に製造された、バターでこしらえた器の中の芯に点火するという一齣が含まれている。この芯に点火できるのは、そのために特別に建てられたお堂の中だけである。谷の住人たちは、この6月のバターが極上のものであることを知っているため、理由はわからずとも、それに当然の敬意を払うこともできるわけでる。
レッシェンタール峡谷の人々の食生活、そのなかでもとくに成長期の少年少女のそれは、たいてい全粒小麦のパン1きれ、夏につくったチーズ1片(パンと同じくらいの大きさ)であって、それに子山羊か牛の生ミルクが加わる。肉は1週間に1回ぐらい食べる。ビタミンなどの賦活物質や身体形成にあずかるミネラルの栄養価に関する私たちの新しい知識に照らしてみれば、彼らが健康な身体と丈夫な歯をもっていても何ら不思議なことはない。ここの手どもたちの脂溶性賦活剤の摂取量やカルシウムや燐などのミネラル類の摂取量の全体の平均は、アメリカの子どもが毎日摂取する量よりはるかに勝っていることだろう。夜遅く冷気を含んだそよ風にのって氷河から流れてくる雪解水の中でさえ、また、我々だったらオーバーや手袋をまとい、襟のボタンをとめなければならないような気候であっても、子どもたちのたくましい生命は彼らに帽子もかぶらず素足のままで遊び戯れることを許すのである。谷の子どもたちはみな全粒ライ麦パンや酪農製品という素朴な食物をまだ食べているのだが、子ども1人当たりの虫歯の平均は実に0.3本だった。平均していえば、1本の欠陥をもった乳歯あるいは永久歯を見つけるのに、3人を調べる必要があるという勘定になる。調査した子どもたちの年齢は7歳から16歳までであった。
もし幸運にも8月の初めに谷を訪れ、国の祭日を祝うかれらの熱心な様子を目のあたりに見ることができたら、それはその人にとって生涯忘れることのできない光景をゆっくり見る特権が与えられたことを意味する。この時の祭典は巨大な松明に大きなかがり火の光をともすために、小山のように積まれた薪に火がともされる場所---それにはあちこちの懸崖や突出した岩場があてられている---に、山の中の住人たちが一同に会した時、幕を閉じる。かがり火は定まった時間に谷のあらゆる場所で点火される。それぞれの懸崖にいて燃える火を見ている人たちには、他のみんなが「吾はみなのために、みなは吾のために」と歌いながら聖なるものに自らを捧げていることをこちらに知らせているのがわかっているのである。こうした気持は行動に結晶化され、人々の魂そのものの一部になっている。レッシェンタール峡谷では扉に錠をかける必要がないという話も十分うなづけるわけだ。
この谷の人々の生活ぶりや心根は、金銭---たとえ、だましたり奪われたりの生活のなかでついにはそれによって命を絶たれ、滅ぼされる人があったとしても、多くの場合なおも求めてやまぬ金銭---では言い尽くせない価値に対しては無関心になってしまうほど堕落した、いわゆる文明世界と呼ばれている多くの国々の人々と比べて、何と異なっていることか。
食物に含まれている活力源となるビタミンやミネラルのなかには、そのような心の住みかとなる偉大な肉体をつくるだけでなく、人生の物質的価値が個人の人格に従属させられるような人間性の高い水準を可能にする精神や心をも造り出す何ものかが、本当にあるのだろうか、直ちにこうした疑問をもたれる向きもあると思う。次章以下ではこれこそがその証拠だという実例をお見せしたいと思う。
私たちの探究は、健康な身体、完全な歯、正常に発達した顔や歯列弓に関する情報に向けられた。それは、食物の分析を通してそのような優秀な身体を形成する秘密が一体どこにあるのかを知り、またあらゆる集団の食生活が補強され、そのために人類に普遍的な病とされている虫歯やその余病から免れるには、どうすればよいのかを、ここの人たちから学ぼうと思ったからである。研究には、歯の医学的な考察をすること、被験者の写真を撮影すること、厖大な資料の記録をとること、化学分析用の食物のサンプルを入手すること、それに毎日の食事のメニューに関する詳しい情報を収集することが含まれており、そのほかにも化学分析用に唾液のサンプルを収集することもつけ加えられたのである。唾液の化学分析は、ある時点のある人間について虫歯の免疫性の度合を推測するために私が最近開発した手法を、実際に試してみるという目的をもっていた。この手法については後章で概説したい。なお唾液のサンプルは唾液量の1%にあたるホルマリン液を添加して保存しておいた。
子どもたちの検査は、その地方の食生活のあり方が変化する際その影響を比較研究する上からも、毎年続けて行なうのが望ましい。食生活の変化にはすでに進行中のものもある。精白パンや精白した粉を使用した多数の食品とかを製造販売する1軒のパン屋が、私の訪れた1932年には全面操業をしていたが、聞けば今でもやっているという。
私は物理的環境のせいで孤立しつつも様々な攻撃から守られて生活している人たちの集団をより深く研究するために、どこを選んだらよいかという段になって、多くの人にどこが一番好ましい場所であるかを尋ねたものだ。1932年、当時私が候補地として考えていたローヌ峡谷とイタリアの間にあるアルプス高地の中の特定の谷あいの村を研究することを決定したのである。バリス州では、西はフランス語、南はイタリア語、東と北はドイツ語を話す人々が境を接して暮らしている。私はこのバリスでのガイド兼通訳として、アルフレッド・ギージー博士、アドルフ・ルース博士の2人にずっと同行してもらった。
私たちの最初の旅はローヌ川から南方へ広がる大峡谷にあるビスプ川沿いの谷への旅行であった。このローヌ川は、一つはザース・フェー地方へ向かう峡谷、もう一つは頂上が雪を頂いた山々を見下ろす槍状の峰をもち、あらゆる方向の高地から眺めることができる、世界中でもっとも力強いもっとも雄大な景観の一つである、かのマッターホルン付近へと続く峡谷、これら2つの峡谷に分かれている。マッターホルンは、ヨーロッパでも未踏のまま残された最後の山の一つである。マッターホルンを見ずして、アルプスのもつ荘厳さを十分に味わったとは言えない。
私たちはアプト式で急勾配を上がっていく鉄道に乗り込み、聖ニコラス町駅へ行き、そこからグラーヘンと呼ばれるマックービスプ川の東岸にある人里離れた小村落まで行程5時間の山道を登った。その部落は日差しを南からうける川の東岸の高い崖の上にあり物理的に近づきがたいことから独特な孤立生活を送っているのである。この地域社会に住む子どもたちの歯の検査では、虫歯はなんとどの100本をみても2、3本しかないということが明らかになった。
人々がいかに壮健であるかは、標高およそ5000フィートのところで大きなライ麦の束を背負って運んでいた62歳の女性がいたという点からも十分うかがえる。後で、私たちはその女性に面接し話をする機会に恵まれたが、彼女は比類のないほどよく発達した体をしており、若々しい感じのする人だった。彼女が会わせてくれた孫たちも、すばらしい体と伸びやかな顔つきをしていた。
ライ麦はひじょうに貴重なものであり、運搬に際しても穂先は布に包んで保護するため一粒たりとも落ちこぼれるようなことはない。ライ麦は手で脱穀され、以前には図2に見るような手回しの石臼でひかれていた。近年は水力タービンが設置されている。川の水量が豊富なので、山腹に住む人はその水を引いた水車小屋で脱穀を行なう。彼らが食用とするのは精白していないライ麦の粉だけである。各家庭の主婦は同じく図2に示されているような村共有のパン焼き釜を交代で使用し、精白前のライ麦粉を一度に焼いて家族一月分のパンにするのである。
図2 何百年もの間ここの人たちはこのような手回しの石臼でライ麦をひいていた。右の写真は全粒のライ麦パンを焼く共同釜で、現在使われているものである。
ここでも真夏になると、牛は村から連れ出され氷河辺くで放牧される。グラーヘンはおよそ5000フィートの標高にある。ここにある教会は数百年前に建設されたものだが、かってこの教会を建てるのに功のあった120人ほどの人々に対して与えられた、栄誉と特権を記した文章が浮き彫りにされているのが目にとまった。私たちは地域司祭のなみなみならぬ援助を受けた。そのうえに彼は、子どもの調査を続行するのに便利なようにと、広くて良く整頓された自分の部屋を、家具ともども私たちに提供してくれた。
私たちはグラーヘンからサン・ニコラスヘ戻り、そこから汽車で谷を下ったり、時には険しい坂を昇って進み、数時間の後ビスプ川に臨む山の東側にあり、マッタービスプ川とザーゼルビスプ川との合流地点の下流にあたるビスパーターミネンという小村に辿り着いた。この村はその川の谷の上部の風の当たらない岩棚上にあって1600人ほどが住んでいる。ここからの眺望は筆舌に尽くしがたいほどすばらしいものであった。その村は、村のある山と周囲の山々が織りなす樹木線のやや下方に位置している。雪を頂いた雄大な峰々と切り立った山々は、地平線を突き破るようにそそり立ち、私たちのいる見晴し台の下、数千フィートを蛇行する川の流れを際立たせている曲がりくねった山峡に、その陰を落としていた。そこは、じっくりと考え事をするのにうってつけの場所である。
夏の天候は、日中には日陰でも熱帯地方の暑さがあるかと思えば、夜には高山特有のブリザードが荒れ狂い零度以下にもなるといった調子でかなりの変化がみられる。その意味でここは、人間の体力が人生の有意転変に耐えうるよう鍛練される所なのである。
独特なデザインの施されたスイスの牧人小屋が山腹にひとかたまりになっているのが、ここの村である。そして、教会があらゆる方角の山々から望みうる標識として聳えたっている。ビスパーターミネンは幾つかの点でユニークな所である。文明とも相対的に近接しているにもかかわらず---ローヌ峡谷の街道まではほんの数時間の道程しかない---そこに特有の素朴な社会生活を維持する機会と孤立性を享受してきたのである。私たちは村長の出迎えを受けたが、ありがたいことに校舎を開放して頂いた上に、私たちの希望する調査が行なえるようにと村へ使いを出して、村の子どもたちを急いで学校に来させるよう計らって頂いた。この研究では、歯と子どもの発達に関する身体面での調査が予定されていたが、特に、写真による記録や唾液の標本採取、栄養状態についての詳細な研究などが考えられていた。それらに加えて私たちは化学分析のために食物の標本をも採集した。
特筆すべきことは、ビスパーターミネンの人々は、山のふもとに土地を所有しており、そこで国内向けのブドウ酒を供給するブドウ園を経営していることである。それはヨーロッパでも最高のブドウ園である。ブドウは土手の上で栽培されているのであるが、所によってはその土手の勾配がひじょうに急で、耕したり収穫したりする時この不安定でむずかしい足場でどうやって姿勢を保つのか不思議なくらいである。段々畑の各段には、下方の擁壁の側に土の流出を防ぐための溝が掘られているが、ここに溜る土は、畑の各段の上の端まで籠に入れ背に担いで運ばねばならない。こうしたことは何もかも人力によって行なわれるのである。
レッシェンタールやグラーヘンで行なった2つの事例研究の場合とは違って、ビスパーターミネンにはブドウ園があるおかげでここの人々はブドウのミネラル類やビタミン類とか、ブドウ酒に含まれている栄養素などを余分にとることができた。この余分の栄養が大切なのは、それによってビタミンCが補給される機会が得られるからである。こうした付加的な条件があるにもかかわらず、虫歯に対する高い免疫が形成されるわけでもなく、先に見た例ほど歯茎の細胞組織の健康にとってこのことがより有利な条件にもなっていないということは、ビスパーターミネンで行なった虫歯の影響の範囲に関する研究のなかでも特に興味深い点でる。歯の検診をしたところ、100本につき5.2本は以前に虫歯にかかったことのあることが判明した。ここでもまた、ほとんどの場合、栄養は穀物食として使われるライ麦や酪農製品、週に一度の肉類、ジャガイモなどからとられていた。わずかながら、夏には野菜も食べられていた。解体した羊を各家族に配って食べるのが、一般のならわしとなっているが、この結果一週間に一度、普通は日曜日に、一定量の肉が各家庭に供給されるのである。骨や臓物類は毎日食卓にのぼるスープを作るのに利用されている。雌牛が雪線近くの山上にある牧場に連れていかれる夏場には子どもたちは山羊のミルクを飲む。来たるべき冬に備えてチーズを作るため、家族の誰かが雌牛を連れて山上の牧場に行くのである。
村の家畜はすべて同じ群れに放たれるので、各人の所有する家畜を明確にするため、山羊や牛を確認することが重要な問題の一つとなっている。この問題がいかに処理されるかを観察するのは私たちにも興味深かった。村長は山羊や牛を模して木や皮で作られた「テッセル」と呼ばれる雛形を所持している。家畜の所有者は各々村長が保管することになっている雛形を届け出なければならず、村長はそれを記録しておく。その雛形には村人が自分の家畜に付けることにしているマークが刻まれている。左耳に穴を開けておくといったもの、右耳に細い切れ目をつけたもの、またそれらを自由に組み合せたものといったぐあいに、マークは様々である。登録後はそのマークを付けている動物は、すべてそのマークを登録した人の所有物と見なされる。同じことだが、こうした確認用のマークを付けていない動物は、自分の所有物だとは主張できないわけだ。
こうした丈夫な山国の人々の持つ高潔な徳性や発達した頑強な肉体を目のあたりにすれば、讃嘆の念を禁じえないだろう。それと同じく、適切な食事と恵まれた環境を通じて大自然が生み出した、きわめて模範的な男や女や子どもの姿に接すれば誰もが感銘をうけるにちがいない。穀物は諸器官中で酸が生じ、酸が形成されると虫歯の原因となったり血液や唾液の酸性化を伴う他の種々様々な病気の原因となる。したがって穀物食は避けるべきではないかという議論がある。しかし、この問題の是非は上に見た事例からすれば、実にはっきりしているはずである。確かに究極的な最良の見本は大自然という実験室のなかで見出されるものなのだろう。そこでは人間が、大自然の有する栄養法則に対して、不自然で人工的な栄養物をとることによって人間自身を根絶やしにするかもしれないほどの干渉を加えることはまだできないでいるのである。優れた人間らしさを保持しているアルプス高地の子どもたちを何日間も目のあたりにする時、また、これらの人々を現代文明と文明の食物がつくり出した、痩せて血色が悪く、不格好でさえある顔や歪んだ身体と対照してみる時、またさらに、大自然の提供する素朴な食物で育ったここの子どもたちのひじょうにすばらしい顔と、その発達に様々な不完全さがみられる近代文明の子どもとを比較してみる時、誰もが、こうした大自然のもつ良い状態を造り出す力が近代文明人にも利用されるのをぜひ見たいものだという気持になるのを感じるはずである。
何回となく私たちは若い男女を検診する機会を得、生涯のある時期に虫歯が猛烈な勢いで進行したり、また急に止まってしまうといったことや、ストレスがあると何本かの歯を失ってしまうといったことに出会った。そういう人々に山を出たことがあるかどうか、またそれは何歳のことだったかなどを質問した時、彼らの答えは18歳か20歳のときに、あれこれの都市に行って1、2年の間とどまっていたというのが一般的な答だった。彼らは都市に行く前と帰ってきた後には虫歯にかからず、家を離れていた短い期間に数本の歯を失くしたと話していた。
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